赤い祈り

 昭和の時代に活躍した作家 吉村昭は、史実を克明に調べ上げて、ノンフィクション小説として数多くの作品を残した。黒部川第三発電所のトンネル工事を書いた「高熱隧道」や北海道でのヒグマによる大惨事を書いた「羆嵐」。「戦艦武蔵」も書いた。

1982年に発刊された小説「破船」は、江戸時代末期、難破船を「お船さま」と「呼んで待ちわびる東北地方の北の海に面した、陸続きではあるが峻険な山に隔てられた寒村が、その舞台である。大時化で難破したり、座礁したりした船の積荷を収奪したり、船の木材や帆を、自分たちの漁のための船造りに再利用するのである。一年に2-3回ある時もあれば、数年間、それに恵まれない時もあった。それは、村の者皆の固く閉ざされた共通の秘密であった。

小説の最後は、流行り病で、村の人々の1/3くらいが死に、1/3は病が治ったあとにも、もがさと呼ばれる全身のあばたが残り、皆で山の中へ自ら隔離のために入って行く。村に残ったのは、わずかに1/3くらいの人々だった。疱瘡だったのだ。

私のクリニックのある町の近くにも、戦後しばらくまで、隔離のための収容所があったとされる場所がある。今では、なんの痕跡も残っていない。ただ、風化して顔の形がわからなくなったお地蔵様が7~8体、国道沿いの岬の突端に残されているだけだ。この天草においても、あちらこちらにそういう隔離のための収容所があったようだ

 その流行り病のきっかけとなったのが、最後に漂流してきた船であった。難破している訳でもなく、座礁している訳でもない。村の者たちが船の中に入ると、乗員はすべて死んでいたのだが、不思議なことは、全員が、赤い着物、赤い帯、赤い足袋を身に着けていたことだった。真っ赤に塗られた猿のお面もあった。その当時、その村ではめったには手に入らない赤い美しい布を、再利用しようと、すべて身ぐるみをはぎ、村の女性や、女の子のいる家へと配ったのだ。久しぶりに村は賑わいをみせた。残った死体は、浜辺で焼かれた。

 赤い着物や帯は、病気平癒の祈りを込めて、疱瘡の病に罹った人々に着せ、船に乗せられたのであった。

 赤い色は、無病息災を祈る色である。還暦を迎える時には、その祝いの場では現在でも、赤いちゃんちゃんこを着て、赤い頭巾をかぶる。稲荷神社の鳥居は赤く、その社殿も赤く塗られていることが多い。また、地蔵菩薩にも赤い前掛けが着せられているのをよく見る。だるまも赤い。

 小児科医になって、40年ほどになるが、今だに生後1歳未満の乳児たちが最初に罹患する突発性発疹が苦手である。3~4日の高熱が続く。だんだん、不機嫌となり、哺乳力も落ちる。同時に、母親もイライラしてくる。中には、5日目、6日目になっても解熱しない症例もある。

 3日目あたりで、我慢できず、採血することもある。そうした中に、白血球が20000を超え、CRPも10mg/dl以上まで上がっていることもあり、すぐに天草地域医療センターへとお世話になることもある。油断は禁物だ。4日目に解熱し、発疹が全身に出現すると、当方も、母親もニッコリ笑う。峠を越えたのだ。歌舞伎役者の様に、顔が斑らに赤くなるこどももいる。これも、赤い発疹の色は、病気が快方へと向かったことを表わす、めでたい色なのだ。

 ところで、新型コロナ感染症が流行って以来とても身近になったデータのひとつが、血液酸素飽和度である。パルスオキシメーターと呼ばれる小さな器具で、指先を挟むだけで簡単に測れる。侵襲もなく、すぐに結果も出るので、ほぼ一般にも普及した。

 ただ、寒くて冷えると口唇が赤から青~紫色へと変わるように、極度に手足が冷たくなった状態では、正確な数値が出ないことがある。

 特にコロナ感染の初期のトリアージの時、体温が39℃近くへ上昇し、寒気がする、倦怠感がひどいと訴えられる方では、末梢循環不全があるのか、手足が冷たく、SpO2が低く出てしまうこともあるのだ。その為、発熱初日にもかかわらず、中等症と判定されてしまう例もあるのでは?と懸念する。

 今年7月初め、第7波のはしりの時のことだった。午後外来に、2歳ほどの子どもを母親がつれて受診された。保育園で、酸素飽和度を測定され、94%と低かったので連絡あり、受診するようにいわれたというのだ。当の本人は、ニコニコ元気で、発熱もなく上気道炎症状もなく、母親に抱っこされて嬉しそうにしている。無論、SpO2を測ると99%であった。

 ここで、ふと、血液酸素飽和度を測るパルスオキシメーターは、一体何を計測しているのかを、改めて考えてみた。どの看護師に訊いても、何を今さらという顔で、血液の酸素濃度ですよね。との答えしか返ってこなかった。

 パルスオキシメーターは、血中ヘモグロビンのヘム蛋白と酸素が結合することで、赤血球が赤く発色し、その赤の色の光度を測定している。すなわち、赤の色が明るいとSpO2は高く、青へ近づくにつれ、下がっていくのだ。口唇が、青紫色に変わるのと同じ理屈である。

 手足の冷たい状態では、低めにでてしまうのだ。その場合は、洗面器のお湯などで、温めてから、再度測定したらいいのでは、と思われる。

 まことに赤い色は、生命躍動の色なのだ。赤い色に祈りたい。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2022年9月号
発行ナンバー148
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