十万山の四季 Ⅺ 「 (ⅰ)医師の一分 」

寅さん映画の山田洋次監督の作品の中で、藤沢周平原作の三部作「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」が好きだ。藤沢周平の著作も殆ど読んだ。

三部作の中で、特に、木村拓哉、檀れい主演の「武士の一分」は、DVDを購入し、何度もくり返し観た。毒見役のお役目のために盲目となった主人公が、自分の妻の貞操を傷つけた、上司でもある新陰流の使い手に、命を捨てる覚悟で決闘を挑むというストーリーだ。冨田勲作曲のメインテーマが、その背景を更に盛り上げる。

今年7月頃より、熊本県のホームページでは、県内の高齢者施設や医療機関のコロナクラスターが激増しているのを告げていた。7月下旬となり、天草でも多発するであろうことが予想されていた。そんな中、8月に入り、天草の離島、御所浦島の高齢者施設でのクラスターが、ホームページ上に挙がった。施設名も堂々と記載されていた。

8月3日午後、保健所から、同施設への往診での医療支援活動の依頼があった。本渡港に午後3時半、海上タクシーが用意された。自院看護師2名に「今から、しばらく一緒に旅に出るよ」と告げその2名を帯同し、乗船した。自分も、看護師2名も、天草に住んでいながら人生で初めて訪れる御所浦島だった。

8月初めの太陽は、輝くばかりで、空は青く、入道雲は真っ白だった。海上タクシーの曳く航跡は、まるでリゾート地で、豪華クルーザーに乗っているかのようだった。しかし、その周りの景色とは裏腹に、気持ちは、緊張と不安で暗澹としていた。

御所浦港の浮桟橋に着くと、施設の男性職員の方が、車で待っていてくれた。施設は、港からすぐの山の中腹の海の見晴らしの良い場所に在った。

既にゾーニングのなされた施設内へ、グリーンゾーンで仮の出入口となされた部屋から入った。その部屋はPPEを着用するために用意されていた。PPEのためのガウンやフェイスシールド、手袋、マスクなどは、持参していた。聴診器を拭くためのアルコール綿も持参した。診療の記録のための、用紙は持っていなかったため、自分の雑記帳のノートを、15,6枚破ってカルテ替りとした。

40名の入所者のある施設は、そのうち20数名の方々がコロナ陽性となり、レッドゾーンのある最奥部のホールや入居者用のベッドに集められておられた。ほとんどが要介護4か5の高齢者だった。グレーゾーンにおられた入居者の方々も、改めて抗原定性検査をすると、次々に陽性反応が出た。

施設職員も、コロナ陽性者が多く、全職員24名のうち、3、4人だけが施設に残っている状態だった。介護の基本作業である、入浴、食事、排泄の介助が、ほぼ出来ない状態へと陥っていた。それでも、残った職員で黙々と介護業務をしておられる。必死になって戦っておられるのがわかった。約2時間程、施設の看護師とともに、状況を聴きながら一人一人を診察し、聴診器をあてた。気になる方々の採血や補液もした。診察が終わり、帰りのあいさつの時だった。3人の残った職員と、施設長の方たちの心労や不安が、その顔色から伝わってきた。これから先の、クラスター収束までの長い道のりへの絶望が垣間見えた。

その不安でいっぱいの顔を看ているうちに、こちらの腹も、段々と据わってきた。出来る限りの笑顔を造り、このクラスターが収束するまで、必ず、最後まで付き合うことを告げた。口唇はやや震えていたかもしれなかった。施設長の方や看護師の方々が、少しホッとした表情になり、目尻に光るものが見えたような気がした。

帰りの海上タクシーの中で、帯同してくれた二人の看護師に、しばらく一緒の長い旅に出ることになったねと、話し合った。二人の看護師は、私に笑顔で肯いてくれた。

翌日から、二江の診療所は、午後外来を休診とした。周りの医療機関やかかりつけの患者さんにはご迷惑をおかけしたと思う。倉岳・棚底港までは、二江から片道約40㎞、車で約1時間だ。棚底港には、毎日、海上タクシーが迎えに来てくれた。約15分の航海のあとには、毎日、施設職員の方の車が迎えに来てくれた。片道で計1時間半を要した。

毎日、PPEを付けて、グリーンゾーンの体調不良の入所者の方たちから診療を始める。発熱してなくても、あまり動かれないとか食欲がないとの症状みられる方では、採血してみると、白血球が20,000/μL前後、CRPが15mg/dL前後まで上昇している症例が頻繁にみられた。おそらく誤嚥性肺炎や尿路感染症を合併していると思われる。

コロナ感染そのものに対する武器としては、我々一般開業医でも使い慣れている薬剤でもある、デキサメタゾンを用いた。コロナ感染治療薬としても登録されている。ただウイルス血症期に使用するのは厳禁であるため、その使用には発症から4〜5日以上が経過していることを確認した。デキサメタゾンは、その用量や投与期間は、「ステロイドの虎」を参考にした。乳幼児の喘息発作時に使用するのとほぼ同じ容量で使用することとした。

採血とともに、抗生剤やステロイドの点滴静注をした。施設は、換気のため窓も開け放たれており、気温も高く、脱水症も合併していると思われる例も多くみられた。多い日には10人近く採血とともに抗生剤の点滴や補液を行った。抗生剤や漢方薬などいろんな内服処方もした。新たに発熱した入所者で、抗原検査陽性となった方々にはラゲブリオの内服処方もした。

数日後からは、他の施設や医療機関から医療・看護支援のための、看護師の方の応援も、毎日4,5人ずつ来ておられた。看護、介護の応援をしてくれる人々が一緒にいてくださるだけで、少し温かい風景にみえた。雰囲気も落ち着いてきた。

ある日、90歳代の男性入所者の方のSp02が80%台に落ちておられた。手は暖かい。何度測っても90%台に届かない。重症肺炎の合併の可能性もあり、コロナ対応病床への転院の判断をした。転院するにも、専用の救急船と救急車での搬送となり、ご本人には相当な負担となる。(その方は天草中央病院に御世話になりました。)

もぐら叩きのように、一人の症状を抑え込めば、今度はその隣の人が、具合が悪くなる。悪戦苦闘の日々となっていった。しかし、段々と施設での診療に慣れていった。

お盆前くらいからだったろうか、少しずつ働く職員の数が増え出した。療養期間を終え、職務に復帰して来られるのだ。PPEを着用する部屋には、ホワイトボードが置いてあり、そこに職員の数が記入され始めた。毎日、毎日、少しずつ勤務する職員の割合が増えてゆく。

緊張を強いられてこられた施設長や看護師のお顔にも時折り笑顔が覗けるようになった。こちらからの冗談にも受け答えしてくれる。むこうから冗談が飛び出すこともあった。

お盆の墓参りはしなかった。お墓に入っている人々の魂が、墓参りに来る余裕があるのなら、施設の医療支援の責任を果たせと自分の心に告げていた。十万山の精霊たちから日頃鍛えてやっている代わりに、不安を抱える人たちに聴診器をあててこいと云われているような気がしていた。

お盆が終わった頃になると、次第に、診察や医療処置をしなければならない方々の数が減っていった。8月18日、このまま発熱や体調の悪い方がでなければ、明日で収束になると、保健所から通告があったことを施設長の方に告げられた。その日は、診察は5、6名、採血、抗生剤の点滴は、一人だけで済んだ。自院に検体を持ち帰り、検査する。CRPは1mg/dL台まで下がっていた。

海上タクシーで棚底港に到着すると、季節変わりを告げる猛烈な雨が浮桟橋を叩いていた。傘も持たず、海上タクシーを降り、びしょ濡れになりながら、棚底港駐車場に置いた車へと、3人で走った。

全身ずぶ濡れになったまま、車のエンジンのボタンを押した。車内に、妙にホッとした暖かな空気が漂った。

「長い旅が終わったね。」と二人の看護師に告げた。二人の看護師は、濡れたままの顔で微笑みながら、「ハイ」と応えた。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2023年1月号
発行ナンバー149
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