幸せのカタチ

10月に入り、ようやく緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が解除となった。今回の措置はとても長く感じられ、人生の貴重な時間の一部が空白となってしまったような空虚感を覚えた。解除となっても、重苦しい閉塞感は続いていた。久し振りに、夫婦で温泉にゆっくり浸かりたかった。天草から出てしまうのはためらわれたため、自分の診療所に通い続けてくれている、天草・下田温泉の女将が、外来受診してくれた機会をつかみ、予約した。彼女の経営する老舗旅館は以前から一日一組のみの限定で営まれていて他の客に気を使う心配が無用だからでもある。

 10月中旬の土曜日だった。天気予報では、夜に前線が通過し急に気温が下がるとの予報が出ていた。それまでは、連日、日中は30℃越えの真夏日であった。夕方5時に本渡の自宅を出発し,30分ほどでその旅館に到着した。早速、夫婦で男湯の岩風呂に浸かった。家族風呂状態である。最初は熱く感じたが、何回も、くり返し出たり入ったりするうちに、次第にその熱さに馴染んでいった。窓の隙間から吹き込む風が涼やかだった。

 夕食を楽しんだあと、一人で、もう一度入浴した。TVは点けなかった。早めに就床した。妻も、足をマッサージをしてやるとすぐに眠ったようだった。予報通り、雨風が部屋の窓を叩いている。雷は鳴らなかった。その雨音を聴いているうちに、そのまま深く眠った。

 翌朝は快晴だった。気温はぐんと下がっていた。夫婦で、女風呂を混浴として使った。朝食に満足したあと、部屋でしばらくゆっくりした。再び一人で風呂に行った。入れ替わりに、妻も風呂に行った。二階の部屋の開け放した窓から吹き込む風が、火照った身体を冷やしてくれる。永井荷風の小説「墨東奇譚」に出てくる「自堕落におれば涼しき二階かな」の句を思い出しつつ青空を見上げていた。白い雲がかなりの速さで南の方へと流れている。昨日までとは違い北風が吹いているのがわかった。心地良い時間だった。雲の形が少しずつ変わりながら流れていくのを,ぼんやりと見送った。

 2週間後、女将が、月に一度の外来受診に来てくれた。前回の、おもてなしのお礼を云って、あの朝の、開け放した窓から見えた、流れる雲のことを話した。女将は、しばらく黙って私の話しをきいていたあと、こんな話をしてくれた。

 つい一週間くらい前のことだったそうだ。東京からの女性の一人旅を引き受けた。深まり行く秋の夜空には、星がまたたく。一人きりの夕食のあと、客から、この辺りで周りの灯りに邪魔されず、星空がきれいに見える処はないかと尋ねられた。女将は、この辺りは特に街灯もなく、あっても低いので、どこからでも星空は見えます。特に、この旅館の屋上からはよく見えますよと答えた。客は一人で屋上まで,教えられた外階段を登った。

 いつ降りて来られるかなあと気にしながら後片付けをしていたが、なかなか降りて来ない。かなり辛抱強く待ったが、やはり降りて来る気配がない。屋上の周囲には防護柵がないため、心配になり、ついに自分も階段を登っていった。屋上に着いたが、人の気配がない。恐くなり、持っていたスマホを電灯モードにして周りを照らしながら、客の名前を大声で呼んだ。すると、屋上の床から黒い影がむっくり起き上がりびっくり驚天。その影は客の女性であり、安堵と恐怖のあまり下肢の力が脱けそうだった。女将の話しは、そこまでだった。

 東京から、天草・下田への女の一人旅である。失恋による傷心?星空の研究又は勉強?芸術的創造活動?キリスト教の巡礼の旅?どれも違うような気がする。

 彼女は、何か自分を解放してくれる景色が欲しかったのではないか。日本の最果ての地で、最も遅く日が沈む場所で、日が沈んだあとの満天の星空を見上げたかったのではないか。日が沈んだあとにも、美しい夜空が拡がっていることを確かめたかったのではないか。

 その星空を、屋上の床で仰向けになって見上げていた女性の姿が目に浮かぶ。

 東京、神田、神保町のネット広告代理店に勤める私は、とに角、広々とした海へ真っ直ぐに落ちてゆく夕陽を見てみたかった。茨城県にある太平洋に面した実家のある町からは、日の出しか見たことがなかったからかもしれない。

その、日の出の時間も、たいていまだ寝ているか、登校前の忙しい時間で、水平線と、空と、太陽の位置関係を、自分の目でしみじみと見る機会はなかった。東京の私大へ進学してからも、夕陽というものはビルの谷間へいつの間にか沈んでいた。一日が閉じていく瞬間というものを、自分のこの目でしっかりと見てみたくなったのだ。

 週末の金曜日の夜、彼に最後となる筈の別れを告げた。もうたくさんだった。この5年の間にいろんなことがあった。最初は良かったのだ。

私も若かったし、彼も、はつらつとした優しい笑顔の営業マンだった。

 付き合い始めて2年くらいたった時だったろうか。彼の妻が、二人目となるこどもを妊娠したということを、風のうわさで知った。私の方はタイミングが合わなかったのか、妊娠しなかった。

 その後くらいから、彼は私にすがるような気配をときどき見せるようになった。こちらから「もう、別れよう」と言ってもことばをはぐらかすようになった。バーのカウンターで一緒に飲んでいても、ときどき腕時計を見るようになった。この人は、未練がましくどっちつかずなのだ。自分からスッパリ別れを告げるのが苦手な人なのだ。優しいのは自分だけを大切にしているからだ。

 それからやがて3年が経とうとしている。やっと、少しずつ自由になれた気もする。この2年間コロナ禍で在宅ワークとなり、ほとんど、会社で会わなくて済んだからかもしれない。ラインでの連絡も次第に遠ざかっていった。向こうからのには、すぐには既読が付かないようにした。

 最後に「さようなら」とだけ書いて送った。既読にはなったが、返信はこなかった。

 陽の沈んでゆく処を見たかった。「日本の夕陽百選」というサイトがあることに気付いた。最果ての、日本で最後に陽が沈むシーンを見てみたくなった。九州の熊本県、天草からは、太陽は東シナ海へと沈んでいく。そのまま真西へとたどると、中国の大都会、上海へと辿り着く。天草の落ちゆく太陽は、上海を通ったあとヨーロッパへと登るのだ。違う場所でまた新たな一日が始まるのだ。その景色を見たくなった。頭の中でそれが次第に形になっていった。

 土曜日の早朝、まだ薄暗い中、浜松町からモノレールに乗った。東京の緊急事態宣言は解除されてはいたが、羽田空港は人がまばらだった。

 朝一番の JAL 羽田発-福岡行きに乗った。福岡から天草へ向かう天草エアラインの便は、朝8時50分発。福岡空港到着から、天草エアラインに搭乗するまで30分しかないなぁと心配だったが、発着便がまだコロナ禍前には戻っていないせいか、福岡空港には早着できたため余裕があった。福岡空港一階の天草エアラインの受付カウンターで搭乗手続きをした。座席は10-Dだった。南の手荷物検査場から搭乗ゲートに向かった。バスに乗って、飛行機の処まで案内された。搭乗口の階段を登り、座席をみると中学校の修学旅行で乗った時のような、両側が2席ずつで縦12列程の大型バスのような室内だった。そういえば外観は青い海原を泳ぐイルカのような模様が描いてある可愛いプロペラ機だったことを思い出した。そうか、この飛行機は青空を泳ぐイルカなのだ。離陸してしばらく水平飛行になったと思ったら、すぐに下降を始めた。窓の外には、雲仙の普賢岳だろうか、山頂部分がはげた山がすぐ横に見えた。右前方には、海が拡がっていた。その先にはもう島影らしきものは見えない。とすれば、今、下に見えている島影は、きっと天草や島原の島々なのだろう。

 飛行機は時計回りに大きく旋回して、みるみるうちに地表が近付き、やがてちょっとしたショックとともに着陸した。まだ、東京・墨田区のアパートを出てから、4時間しかたっていなかった。

 空港を出てすぐの駐車場で、予約していたレンタカーを見付けた。「チョクノリ」と云うのだ。スマホで解錠、施錠はもちろん,エンジン始動、ガソリン代やレンタル料も清算できるシステムらしい。その白い乗用車に、一人乗り込んだ。久し振りに握るハンドルも、ナビと交通量の少なさもあってか軽快だった。空港を出てわずか10分程で、町が開けてきた。この町の名は「本渡」と書いて「ホンド」と読むのだ。空腹を覚えていたところだった。モスバーガーを見つけたので、右折して駐車場に車を停めた。カウンターで、コーヒーとハンバーガーのセットを注文した。店内には、ボサノバ風のジャズが流れていた。窓から射し込む朝の日差しが、昨日までの東京とは違い、やけに明るく柔らかだった。

 私は自由だった。前の道路を行き交う車を見ながら、ぼーっとした時間を過ごした。再びハンドルを握った。海沿いに、宿泊を予約してある下田温泉へと行くつもりだ。さっき、飛行機から見降ろしたばかりの雲仙普賢岳が右斜め前に茶色の山肌を見せている。国道沿いに走ると、大きな左カーブ。天草下島の北の端であるのだろう。長崎の島原半島へ渡っていくフェリーが見える。しばらく走ると、右側に見える海の沖の一部が、海は凪のはずなのに、白く泡立っている。気になって車を止めた。窓を開けてよく見ると、魚の背びれのようなものがたくさん見えてきた。しかも,その魚がときどき宙を飛ぶ。魚ではない。イルカだ。背筋を気持ちの良い雷光のようなものが走り抜けてゆく。再びハンドルを握り、ドライブを続けた。進行方向右側は、どこまでも続く穏やかな真っ青な海だった。苓北という町を通っていると道路は左に曲がり、南へと方向を変えた。しばらく走ると再び右手は海原となった。先程までの海はナビで見る限り、向こう側に長崎県と思われる陸地が見えていたのだが、ここから見る海は水平線が半分見えている。海の青さも一際濃くなり、外洋に出たようだった。ときどき、道幅の広い処に車を停めては、その水平線を眺めた。

 午後1時すぎには、予約していた旅館に到着した。チェックインまではまだ間のある時間だったが、荷物を置かせてもらおうと玄関の引き戸を開けてみた。すぐに女将さんらしい女性がニコニコ顔で現れ、そのまま二階の部屋へと案内された。ここは、昭和の頃に建てられたような旧い旅館であるが、1日1組の客しかとらないので、今日一日は、私の貸し切りなのだとか。周りに気を使わなくて済むのが、東京から来た身としてはありがたい。何か不思議な世界に彷徨いこんだような気がしていた。さっそくお風呂を勧められた。女風呂、男風呂、客は私一人切りなのでどちらでも良いとのこと。男風呂の岩風呂は後の楽しみにして、とりあえず女風呂に行った。

 湯船は、畳一畳程の長方形で、淡いピンク色のタイル張りの浴室だった。お湯は柔らかくトロトロしていて、とても気持ち良い。窓から射し込む日差しが湯気と交わり、縞模様に見えている。昨日まで身に纏っていた鎧みたいなものが少しずつ剥がれ落ちてゆくのを感じていた。。ゆっくり浸ったあと、二階の部屋に戻った。

 坐イスにすわり、脚を伸ばし、部屋に備えてあったお茶菓子とともに熱いお茶をすすった。十字架のイラストの描いてある天草サブレというお菓子だった。夕食は、6時にお願いしていたのでまだしばらく時間がある。日没は5時半頃と調べていた。女将さんに、ネットで調べていたブルーガーデンまでのだいたいの道筋をきいた。旅館からはすぐの場所だった。

 そのブルーガーデンと呼ばれる、海へと向かって造られたウッドデッキに着いたのは、午後4時頃だった。そこは,180°どころか270°程の眺望が得られる、海に向かって突き出た高台の岬だった。岬の周囲は絶壁だった。太陽からはその落ちゆく先を示すかのように、輝く光の帯がこちらへと一直線に伸びてくる。さざ波に反射してきらめいている。見上げた藍色の空は水平線に近付くにつれ,濃いブルーから、水色、グリーン、黄色、そして橙色へと変わっていく。ウッドデッキの柵にもたれてぼんやり眺めているうちに、陽は水平線へと近づいていった。人声がして振り返ると、夕陽を眺める人々が増えていた。ほとんどが、カップルや、こどもを連れた家族だった。一人きりなのは、私だけだった。太陽は、眩ゆい輝きから次第にその円い輪郭がつかめるオレンジ色へと、光を失っていった。

 水平線に到達したかと思うとすぐに,太陽の下半分が水平線に溶けてゆく。球体が円柱の形に変わって海に沈んでゆくのだ。周りの人々から拍手や歓声が上がる。

彼と過ごした5年の月日が、海に溶けていった。

 ふと気付くと、周りに人は居なくなっていた。静かだった。遠くから潮騒がやさしく囁いていた。薄暗い夕暮れの中、しばらくたたずんでいた。遠くに漁り火がひとつだけ灯りをにじませながら浮かんでいた。

車に戻りエンジンをかけた。ライトが点灯した途端、周りの景色は闇に沈んだ。旅館へと向かった。駐車場に車を入れ旅館の玄関に入ると、女将さんが安心した様な笑顔で、「おかえりなさいっ」と大きな声で迎えてくれた。戸惑いながらも、「ただいま」と応えた。自分では気付かないままに、何か思い詰めた様な顔をしていたのかもしれない。

 夕食は、地元で獲れた地魚の料理とのことだった。初めてたべる伊勢海老のお刺身は淡いピンクのまじったホワイトパールの色で、たべると甘くてプリプリとした歯応えだった。「お酒は召し上がられませんか?」と女将さんにきかれ、勧められるままに天草で造られたという焼酎のお湯割りを一杯だけ注文した。池の露という名前の芋焼酎だった。甘い芋の香りがふんわりと漂う。

 食後に、もう一度お風呂を頂いた。今度は、男性用となっている岩風呂を選んだ。黒い岩肌がゴツゴツとして少し恐かった。入浴後、女将さんに聞いていた、旅館の屋上へと登った。心地よい冷たい風が吹き通っていく。空を見上げると、満天の星空だった。立ったまま見上げ続けていると、めまいがした。浴衣姿のまま、床に仰向けになった。空に拡がった星々を見続けているうちに、段々、星と星の間に線が結ばれ始めた。その線はみるみるうちに何かの星座の様に繋がっていき、次第に何かの形となっていった。ふと気付くと、彼の顔になっていた。私の両目尻は、なぜだか濡れていた。にじんだままの星空を見上げていると、突然、誰かの名前を呼ぶような声に、我に返った。子どもの頃、いつのまにか昼寝してしまい、突然母に起こされた時のような感覚だった。懐中電灯で照らされ、眩しい光に向かって起き上がった。「あー、良かったー。」と、云いながら、屋上の床にすわり込む女将さんの姿が、暗闇の中でシルエットになった。部屋に戻ってしばらくすると、女将さんが、熱いジャスミン茶をもってきてくれた。よく眠れるのだという。

 翌朝、ゆっくりと美味しい朝食を頂いたあと、もう一度お風呂を使わせて頂いた。最初に入った、女風呂にした。憑き物が落ちたかのようにスッキリと安心している自分がいた。

 11時前にチェックアウトした。「女の人生にもいろいろあるとよね~。気をつけて帰ってね。」と云いながら、女将さんはニッコリと見送ってくれた。カトリック教徒でもないのに、マリア様に許されたような気が、ふと、した。感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 昨日の海岸沿いとは違う道を通って帰りたかった。昨日までの自分にはもう逢いたくなかったからかもしれない。山の中を通るルートをナビで選んだ。途中、通るのは「福連木」と書いて「ふくれぎ」と読むらしい。新たな幸福へと連なる木々が迎えてくれるような気がした。スマホを見ると、彼からラインが来ていた。もう何にもためらわずに開けた。「ごめんね。ありがとう。元気でいてね。」とだけ、あった。一瞬、彼の優しい顔が浮かんだが、それを打ち消すように、エンジンをかけ、アクセルを踏んだ。

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 彼女は、はたして、いくつくらいの年齢だったのだろうか。とても気になり、自分の妄想はここまでとして、後日女将に、電話をして尋ねてみた。女将は、「四十前後の女性でしたよー。」と少し戸惑いながらも、教えてくれた。少々重たい気分になった。陽の傾きかけた中、帰りの天草エアラインへと乗り込む彼女の後ろ姿が目に浮かんだ。それもひとつの 「幸せのカタチ」 として。

天草医報2022年1月号へ掲載予定 2021年12月20日校了

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