チャコの思い出 ~前編~

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昔、メスの柴犬を飼っていた。その当時の30年近く前のことから順を追って思い出そうとすると、その頃、同じ時間に存在した家族の年齢や状況、自分の仕事のこと、住んでいた場所など、あまり思い出したくないことも、思い出さなくてはならない。

 そのメスの柴犬が、本渡、大矢崎の父の家で飼われるようになったのは、今から28年程前のことだった。私が、34歳。長女が、小学校2年の頃であったろうと思う。父は、64歳、今の私より、2歳年上であった。その1歳になったばかりの柴犬を、父は「チャコ」と名付けた。私が子どもの頃に流行った、家族もののTVドラマの主人公の女の子の名前が、その由来だったように覚えている。

本渡、大矢崎の実家の、南側の狭い庭の隅に犬小屋がおかれ、そこに住まわされてい

た。私たち夫婦が、苓北の医師住宅から4人のこどもを連れて帰ると、こどもたちと一緒になって、くんずほぐれつ遊んでいたような景色が、目に浮かぶ。

チャコは、二度の出産を経験した。一度目は、父がチャコを購入した、本渡、船之尾にあったペットショップへ連れて行き、相手を見付けて妊娠させたようだった。やがて4匹の子犬が生まれた。しばらくして、父が、その子犬たちをペットショップへ連れて行き、またチャコは一人になった。同時に、こどもたちも寂しそうにしていた。

 末っ子の次男が、2~3歳の頃、私達は、勤務する病院の裏の医師住宅から、苓北、志岐の一戸建て医師住宅へと移った。かなりの広さの庭付きの住宅であった。

夫婦共働きだったため、両親が、毎日のように、本渡から苓北の家へと、家事・育児の応援に来てくれるようになった。父は毎日、いろいろな物語を聞かせながらこどもたちを寝かしつけてくれた。両親が、苓北に来てくれるようになった頃、チャコも、苓北の住宅へと、その住まいを移した。医師住宅の庭の隅に、本渡の家から移した犬小屋を置き、そこで生活するようになった。こどもたちが小学校から帰ると、私達共働き夫婦の代わりに「ワンワン」という「お帰り」のあいさつをしてくれていただろう。

ある時、庭のコンクリート壁の木戸の蝶番が壊れた。借家でもあり、修繕するのが、ためらわれ、コンクリートのブロックを2個持ってきて、外れた木戸を外側から固定した。男の力でしか開けられない筈だった。

ある朝、病院へ出勤しようと玄関の扉を開けると、そこにチャコが、嬉しそうに尻尾を振りながら坐っていた。どうやって外に出たんだろうと思い、木戸の下に積んだ、ブロックをみると、10㎝程ずれており、その隙間から庭が見えていた。コンクリートブロックを一つ増やし、3個とした。自分で庭側から木戸を押して、開かないことを確かめた。

しばらくしての朝、家の玄関を開けると、再び、チャコが、そこに坐っていた。2~3回、思いきり平手で叩いたと思う。チャコは「キャンキャン」鳴きながら、引きずられるように庭へと入れられた。

それから次第に、チャコの動きが緩慢となった。よく見ると、腹部が腫れているような気がした。フィラリア症による浮腫と考えた。腹水が貯まっていた。妻は、何とか元気付けようと、それまでの、残った味噌汁入りの残飯やドッグフードに加え、スーパーから、鶏肉を買ってきて生で与えた。よほど美味だったのかドッグフードは残しても、鶏肉は毎日のように完食していた。その後も、次第に腹水は貯まり、腹部は垂れ下がっていった。チャコの動作もより鈍くなっていった。もうしばらくはもたないかなと考えながら、腹水を少しでも除去できないものかと、病院薬剤室から、利尿剤を2~3錠貰ってきて、少しずつ餌に混ぜて内服させた。効果はみられなかった。可哀想で、住宅裏の防波堤の処まで時々、抱きかかえるようにして散歩へと連れていった。そんなある夕方のこと。60代位の男性が、私が犬を引きずるようにして歩くのをみて、「どうしましたか?」と尋ねてくれた。私は、正直に「この犬はフィラリアで、もうすぐ死ぬのです。死ぬ前に散歩をさせてあげたくて。」と応えた。男性はふと涙ぐんだ様子だった。

その数日後くらいだったと思う。昼食の後、午後の診察へ行くため、家の玄関を開けた時だった。庭の方で、ネズミの鳴くような「ミューミュー」という音が聞こえた。その音の原因を探るため、庭へと入った。エアコン室外機の方から、その音はしていた。恐る恐る、上から覗いてみると、室外機と壁の間の隙間に挟まるようにしてチャコが居た。よく見ると、そこに、ネズミの様な小さな生き物が2匹、「ミューミュー」と鳴いていた。チャコは、2度目となる、出産中だった。仰天したまま、玄関へと戻り、大声で午後出勤前の妻を呼んだ。段ボール箱を持ってこさせ、チャコと、2匹の、生まれたばかりの、ネズミに似た子犬を入れた。チャコは、まだまだ出産の途中だった。

夕方、病院から帰ると、段ボール箱の中の子犬は、5匹に増えていた。チャコは、まだ、出産の陣痛に耐えていた。尻からは、水の入ったビニール袋のようなものが見えていた。チャコは、けたたましく吠えるが、そのビニール袋は、尻に挟まれたままだった。難産の様子だった。あまりに苦しがるチャコの様子をみて、決心をして、チャコを抱え上げ、風呂場へとつれて行った。抱え上げたまま、その尻からはみ出た袋を素手で引っ張り出した。ズルッと音がするような感じで、ビニール袋のような羊膜に入ったままの6匹目の子犬が出てきた。チャコは、そのビニール袋の様なものを、自ら食い破り、羊水も、胎盤も、きれいサッパリ食べ尽くした。6匹目の子犬とチャコを玄関に置いた段ボールへと戻したが、チャコはまだ陣痛に苦しんでいる様子だった。7匹目は、比較的容易に、出てきた。透明なビニール袋のような円盤の中で、両手両足をクイクイ動かしている子犬がいた。チャコは疲れ果てており、そのビニール袋を食い破ろうとしなかった。既にその時には、胸腹部の2列に並んだ乳房に、6匹の子犬がぶら下がっていたからでもある。炊事場から、ハサミを持ち出し、袋を切り破り、私自ら、破水した。チャコはすぐにそこへ近寄り羊水も胎盤も子犬の皮フもペロペロなめながら、きれいにしてしまった。都合、7匹の子犬が生まれた。母犬と7匹の子犬の段ボール生活が始まった。チャコが横になると、子犬たちは一斉に乳首に吸い付き、前足でけるようにして懸命に乳を吸っていた。ワゴンタイプの車の荷台に積んで、4人のこどもたちとともにあちこち出かけた。合計14個の生命が一台の車にひしめいていた。庭では、7匹の子犬達は、私が追うと一斉に逃げ、私が身をひるがえし、逃げるように走ると、一斉に私を追いかけてきた。毎日、何度もそれをくり返し楽しんだ。

チャコと7匹の子犬を連れ、以前、出産前のチャコを連れていった防波堤へと散歩へ出た。子犬達には首輪も紐も要らない。母犬の周りを付いて来るからである。運悪く、あの時出会った60代男性が、そこでゴミを燃やしていた。男性は、私達に気付いた様子だったが、私は目を逸らして知らぬ振りをしてしまった。男性も知らぬ素振りをしてくれた。その時の苓北の海の景色を、この頃よく思い出す。

天草医報2022年1月号へ掲載予定 2021年12月20日校了

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