一昨年亡くなった義父は,北九州市黒崎駅前の自社ビル最上階のバーで長年チーフ・バーテンダーをしていました。引退後,幾度となくフランス・イタリアを中心としたヨーロッパを旅行をしていたからか,ワインを中心としたアルコールを好み,毎年発刊される分厚い「世界の酒類事典」を購入していました。妻とこどもたちと帰省すると,まずは義父に居間の座卓に座らされワインを楽しむのが常でした。酒類事典と世界地図帳を拡げて,蘊蓄を聞かされることも楽しみでした。
そのワインのうち,最も頻度の高かったのは,フランス・ビスケー湾へと流れるジロンド川沿いのボルドー地方で生産されるボルドーワインか,イタリア・北西部,フィレンツェの西側のトスカーナ地方で生産されるキャンティワインでした。
何度も一緒に楽しんでいるうちに,ボルドー五大シャトーの名前も覚えていきました。「ラ・トゥール」「ラフィット・ロートシルト」「オー・ブリオン」「マルゴー」「ムートン・ロートシルト」。因みに,ロートシルトとは,ロスチャイルド家の所有する畑を指しています。どれも,それぞれ特徴ある美味しさでした。また,マルゴーは,米国作家のヘミングウェイのお気に入りで娘の名前に付けたほどです(妻も,マルゴーが一番と言い切ります)。五大シャトーに使われる基本的なブドウ品種は「カベルネ・ソーヴィニヨン」と呼ばれる黒ブドウです。
私が30代の頃,義父は60代で,主にボルドーワインを飲んでいました。しかし,私が40代後半となる頃からキャンティ・クラシッコへと変わっていきました。キャンティワインのブドウ品種は70%以上がサンジョヴェーゼと決められています。「ヴィラ・アンティノリ」「ペッポリ」「オルネライア」などのキャンティ・クラシッコたちです。特に美味しいと感じたイタリア・ワインは「サッシカイア」と「ソライア」でした。
私が50代となった頃,義父は当然ながら80代になっていました。私が,主なアルコール源を焼酎に変えた頃,義父は次第に酒量が減り,時々,自分が50代の頃一度だけ飲んだことのあるフランス・ブルゴーニュ地方のワイン「ロマネ・コンティ」の思い出を語るようになりました。一緒に,それを飲んだ人達の名前も登場します。ロマネ・コンティとは,ローマ帝国の所有する畑という意味だそうです。フランスも,スイスに近い内陸部のブルゴーニュ地方のワインです。毎年11月の第3木曜日に解禁となるボージョレ・ヌーボーの生産地にも近い処です。そのぶどう品種は,「ピノ・ノワール」です。「リシュブール」「エシュゾー」「ラ・ターシュ」などのあまり聞き覚えのない,100万円以下クラスのワインがぞくぞくと並びますが,何といっても有名なのは,「ロマネ・コンティ」です。その高いものでは,1ccあたりの値段がロタウイルスワクチンと同等の値段となります。
一目でピノ・ノワール品種のワインと分る特徴はそのワインボトルの形状にあります。ボルドーワインが肩の張った形のボトルなのに対し,ブルゴーニュ・ワインは撫で肩なのです。タンニンが薄いためワインから折出する澱ができにくく,それを留めるための肩が不要だからです。
50代までの私はカベルネ・ソーヴィニヨンの力強い味わいに親和性がありました。その力強さとは,ポリフェノールの一種である「タンニン」が関係しています。60代になると,その力強さを楽しむことは少々荷が重くなってきました。しかし,ピノ・ノワール品種からできるブルゴーニュ・ワインは,甘く,柔らかく,やさしく,私を包み込んでくれます。ワイン・バーに行くと,最初の一杯だけは,若かりし頃の余勢を駆ってボルドーワインを注文しますが,2杯目からは,必ず,ブルゴーニュ・ワインを注文してしまいます。
いつの日か,義父も一度だけ飲んだことのある「ロマネ・コンティ」を飲める日が来ることを夢みています。
掲載情報
掲載誌 | 天草医報 |
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掲載号 | 2021年1月号 |
発行ナンバー | 143 |