中洲徘徊録3 ディスコクラブの巻

中洲は,福岡市のほぼ中心を,南から北へ流れ博多湾に注ぐ那珂川が,ホテルグランドハイアット福岡の前で二股に枝分かれし(別れた方を博多川といいます),ホテルオークラ福岡の北側で再び合流するまでの,二本の川に挟まれた紡錘形の川中島で,まさに川の中州に繁栄して来た歓楽街です。

 400年ほど前の慶長年間,福岡藩初代藩主の黒田長政が,福岡城(中央区)と商人の街の博多(博多区)を結ぶために,2つの橋をかけたことがその始まりとされています。司馬遼太郎の街道をゆくによれば、その北側の海岸あたりは那の津と言われ,水深が深く大型の船が接岸できたようです。那の津の津とは,水深の深い岸のことで,天草近辺でも崎津や口之津など津のつく港が多くあります。また那の津の「那」とは,志賀島で出土した金印(漢の倭の奴の国の王)の「奴」と同一とされ,九州北部を支配した国を表すようです。那珂川の那にも同じ文字が使われています。

 当時でも大型船が接岸できたため,京の都から行政官や物質の輸送また遣唐使船も一旦那の津に立ち寄っていたようです。中洲の場所はまさに漢の時代,二千年以上前から港として栄えていたと思われます。

 いつも立ち寄るホテルオークラ福岡のバー「ハカタガワ」の裏に,鏡天満宮と言う名の社殿があります。クリスマス連休の前の土曜日,初めてそこに参拝してみました。向かって左に石板で社の由来が記されています。京から都落ちとなった道真公の乗った船は暴風雨に遭い大分県中津市に一旦避難。その後再び乗船し那の津港に着岸しました。遠路の果てあまりにも疲れていた道真公は,それでも自分の威厳を守るため,鏡を持って来させ我が姿を見て居住まいを正したのだそうです。その縁故にちなんでそこに鏡天満宮が作られたと記されています。

 いつものA君と夕方6時に鏡天満宮にて待ち合わせ。博多大橋を渡り中洲へと突入しました。

昭和通り沿いに歩いていた私たちに,居酒屋呼び込みのお兄さんが声をかけてきます。お兄さんについて二階の居酒屋へ。先ほどまでの人混みとは打って変わってほとんど人気のない店内が奇妙でした。A君と2人でしたので2人用のテーブル席を希望したのですが店の女の子にはなぜか頑に断られ,客席はほとんど空いていたのにカウンター席に座らされます。ふと違和感を覚えました。生ビールを注文するとほんの少々の筑前煮のお通しがついてきます。先程の違和感に促されるまま店を出ることを決断。計算をしてもらい一刻も早く賑やかな場所へ戻ることにしました。鉄板焼きを食べようと昭和通りを南へ渡り中洲中央通りへ。肉屋横の階段を上ると「C」の玄関です。店の中居さんに「空いていますか」と尋ねましたが「予約してないなら今日は無理です」とあっさり断られました。福博であい橋を渡り川端通りへ。先ほど肉の焼ける匂いに魅せられていた我々は焼肉または鉄板焼きを求め,川端通りをキャナルシティー方面へ南下。「ステーキバー」と初めて聞く類の店を発見。しかしここも満席のためさらに南下します。左手の櫛田神社を過ぎた頃,斜めの四つ角があり左側の小道へ入りました。ぎんなん通りと言うのだそうです。すぐ右手にカウンター席だけの焼き肉屋あり。席は全部で10席ほどですが半分は空いています。横開きのガラス格子の入った木戸を開け中へ。ここはカウンターの上に火鉢をどんと置いて,その上の網で肉を焼いて食べるシステムです。30代と思しき女性が実にてきぱきと働いておられるのが印象的でした。やっとのことで肉料理にありつけました。

 腹が満ちた後は,前から行ってみたかった生バンド演奏でのカラオケができる「B」と言うライブパブです。地下にある店内は大音響。カウンター席に陣取りました。料理のメニュー表みたいなカラオケの曲名メニューがあります。ミスチルの「HANABI」を歌うことに。4〜5曲のカラオケ曲を聴いた後私に順番が回ってきました。まばゆいばかりに照らされたステージに立ちました。前奏が始まるといきなりの大音量。懸命に歌いますが,字幕もなく後ろのバンドの大音響に打ち消され自分の歌う声が聞こえません。非常に気まずいまま歌いおわり,その後逃げるように店を出ました。生バンドカラオケをするには,もっと場数を踏むことが必要だと感じました。少々しらけた気分で,次に盛り上がろうと向かったのは,ドレスコードの要求されるディスコクラブ「B」でした。とはいっても踊れませんので観覧席であるVIP席へ。安物のスパークリングが1本セットで4人席を貸切21000円でした。受付で左手首にテープを巻かれます。その後黒服の兄ちゃんが奥へと案内してくれます。スパークリングが容れられた,Moeのロゴ入りガラス製バケツは,1番下に光を放つ物体のせいでピンク色に輝いています。黒服の兄ちゃんは「後で女性を2人お連れしますね」と耳打ちするのでした。ここも,またもや大音響です。暗くてよくはわからないのですが大勢の男女が目の前のホールでDJの音楽と共に踊っている様子です。天井からはレーザービームが激しく交差しミラーボールも回っています。しかし待てど暮らせど誰も来ません。男2人きりでだんだん寂しくなりました。

 そして菅原道真公の鏡神社の故事を思い出していました。大衆の信を得るために道真公はその居住まいを正しました。でもここでは女性のその気を得るために居住まいを正さなければならなかったのでは?と。ドレスコードを無事通過したとはいえ,ジーパンとくたびれたジャケット,頭部も薄くなった還暦面を下げてでは誰も近づくはずがありません。身の程知らずというものです。急に虚脱感に襲われ恥ずかしい気分のまま店を出ました。二度と来る事はないなと思いながら。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2019年5月号
発行ナンバー138
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