月のしずく

例年,大寒の頃には,温暖な気候の天草にも寒波が押し寄せます。今年もその例外ではなく1月も中旬を過ぎた頃,大寒波に襲われました。

 寒波の頃にはこれもまた例年経験することがあります。嘱託を務める介護施設で,体調を崩されお亡くなりになる方が増えてくるのです。その殆どは1〜2週間前から誤嚥性肺炎やその他の終末期特有の症状があったりもしますが,突然お亡くなりになる超高齢の方も中にはおられます。

施設は温度管理も行き届いており,自分にとっては季節的な変動を感じることもあまりないのにです。

 その多くは,ご家族と最期のことについて事前に話し合いをしていて,施設で看取ることとなっています。最期の時には,60から70代の息子さんや娘さんが付き添っておられます。遠方より親の看取りのためだけに天草に帰って来て、施設に寝泊まりしている方もおられます。最後の時がなかなか訪れないこともあります。疲れもかなり溜まっておられるはずです。

私も同世代。付き添いのご家族へ慰労の言葉を一言かけたいので,施設ナースからの「心肺停止しています」の電話の後にはできるだけ早く,看取りの立ち会いへと馳せ参じることにしています。

 嘱託医を始めた当初,死亡確認時には緊張した面持ちのまま「ご臨終です」「ご愁傷様でした」との慣用句を使っていました。しかし医師としてのその言葉に,だんだん違和感を覚えるようになっていました。看取りのため付き添いをしておられたその家族の方は,悲しくもあると同時についに付き添いからの解放の時を迎えられたのです。付き添う人にも仕事がありご家族がいらっしゃいます。ある時から決意をして,まず自分自身をリラックスさせた上でその労をねぎらう言葉を使うようにしました。

 「安らかに逝かれましたね。最後の時間を一緒に過ごされて良かったですね。本当にお疲れ様でした。」などとにっこり笑って声かけをします。親との思い出を聞いたりもします。最後には涙を流しながら笑って,感謝の言葉を返していただけるようになってきました。

 今年は,1月中旬に入り立て続けに3名の方の看取りに立ち会いました。3人目の看取りの時でした。施設より「心肺停止の状態です」との連絡あり。午前3時半という朝に近い時間だったにもかかわらず,昨晩飲み過ぎていたため、すぐに本渡のタクシー会社に連絡しました。15分ほどかかりますと言われます。寒さ厳しく外で待つのは辛いため,自分の携帯番号を伝え,着いたら電話をしてもらうことに。20分ほどして着信あり。午前3時50分ごろに自宅を出ました。タクシーは,海沿いの道を走ります。ふと北の長崎方面を見ると,水平線に十三夜の月が海へ沈もうとしていました。その月明かりは海に月のしずくのような光の筋を形作っています。それはとても不思議で神秘的な光景でした。思わず運転手にそのことを話しかけました。運転手もそれを見てうなりながら「あまり見ない光景ですね」と共感してくれます。その海に反射する光の筋を見ているうちに,ある歌の一節がふと頭の中に響いてきました。「時間の果てで冷めゆく愛のぬくもり,過ぎし儚き思い出を照らしてゆく。」何の歌かなと思い家に帰ってから調べようと考えていました。

 ご家族にねぎらいの言葉をかけ無事に看取りの立ち会いを済ませ,待たせておいたタクシーに乗り込み自宅へと帰りました。iPadに先程のセンテンスを打ち込み検索してみます。「月のしずく」との曲名でした。YouTubeで改めて聞いてみますとRUI 柴咲コウが切なく歌っていました。

妻の寝ている布団に冷え切った身体ごと入りました。寝息を立てていた妻は「帰ってきたと?夢をいっぱい見よった。」と寝言のように呟きます。この幸せで穏やかな時間も時間の果てでいつかは終わる時が来るのだと先ほど聞いたばかりの「月のしずく」の歌を思い出していました。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2019年5月号
発行ナンバー138
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