看取りのムンテラ

特別養護老人ホームの嘱託医を引き受けてから,8年が過ぎた。初めの頃は,要領も得ず,90歳代の寝たきりの方に発熱エピソードがあると誤嚥性肺炎の疑いということで,あたふたと入院を引き受けてくれる病院を探しては紹介状を書き,入院を依頼していた。軽快すると,また,施設へと帰ってこられる。しばらくすると,再び発熱。再び紹介・転送のくり返し。転送するだけでも,高齢者の方には,大きな身体的負担(リロケーション・ダメージ)をお掛けしていたと思われる。

脳卒中後遺症や,認知症,虚弱の進行などで,寝たきりになっておられる80代後半から90歳代の高齢者では,誤嚥性肺炎は,死亡の直接原因となり得る。しかし,それは治療すべき疾患というよりは,老化による必然の結果であると思えるようになってきた。

人間の一生を飛行機の離陸から着陸までの運航になぞらえてみよう。離陸は,出生。ある高度までの上昇が,成人へと至る幼年期から青年期への成長過程。一定の高度で長い距離を移動したあと,着陸の準備のための下降が始まる。下降しながら速度も落ちてくる。着陸は最も注意を要する緊張する時だ。天草エアラインでは,周囲の視界不良が重なると着陸が困難となることが度々ある。また,どんなにスムーズな下降であっても,着陸の瞬間には必ずちょっとしたショックをともなう。

ところで,ヨットは向かい風に対しては,円弧状に張った帆の裏表に流れる風によって起きる圧力差により発生する揚力を利用して風上へも移動することができる。一方で飛行機は,風がなくても,自らがエンジンの推進力で前へ進むことで翼に向かい風を与え,それにより発生した揚力で空中高くへと上昇する力を得る。そして,素晴らしい速度で空間移動をする。人も,生命力というエンジンで,「時間」という名前の「風」を得るのだろう。うまく飛べば,100年程度の飛行を続けることができる。

生命力は,体力とは異なる。フルマラソンを走ることのできる80歳より,5kmしか走れない40歳のほうが,人生の残された時間が長いことは自明の理であろう。

飛行機が高度高く水平飛行中,突然,予定無く下降していくことを墜落という。大事故である。人間も30代,40代,50代と最も飛行の安定した時期に事故や病気で命を失うことがある。それは文字通り,悲惨な大事故である。しかし,予定された通り,着陸体制に入ってからのランディングは,多少着陸ポイントがずれたとしても,大きな事故にはならず,まずまず,無事着陸成功といえるだろう。

延命治療により得られた時間も寿命のうちと考えるのならそこには異論もあるかもしれないが,脳卒中の後遺症を抱えたり,認知症を合併したり,骨粗鬆症とともに虚弱,フレイルと進み,寝たきりになられた90代の高齢者も,飛行機と同じく実は,無事に着陸態勢に入っておられるといっても良いのではないだろうか。

そう考えるようになって,看取りのムンテラのスタイルが変わった。もちろん,現在の病状説明も行う。心不全の状態や低蛋白・低アルブミン血症などでの予後の予想,生化学検査や末梢血検査データなどの説明だ。その上で,今,書いたような飛行機の離発着の運航図をボールペンで白紙に描き始める。

誤嚥性肺炎は,誤嚥が起きてもむせないことや咳がでないことで起こりやすい。むせないのは,脳幹部の橋や延髄に存在する嚥下反射中枢の劣化もその原因の一つであることも説明する。そこは,人体の中枢神経系の中では,最も複雑な血管系のため本来最後まで守られている場所であることもつけ加える。

その上で,今の施設でできる範囲で治療をして寛解するのであれば,それで得られる時間は寿命のうちと捉えていいのでは,とお話しする。一方,病院へ転送し人工呼吸器を装着したり24時間点滴などの積極的治療を行ったりすることは単に延命を図るだけの処置に過ぎないのでは,と伝える。そして,ムンテラを聴いて下さっている家族の方に,これまでの人生という名前の飛行が,いろんな故障に見舞われたり乱気流に突入したりしながらも,墜落することなく一応安定な航行であったこと,やっと安全な着陸ができる処にまで下降してきたことなどを話す。家族の皆さんを悲しませないように,何とかここまで生きてこられたのだと思うと話す。多分,皆さんに迷惑をなるべくかけないような時を見計らって逝かれるのでは,と話す。

家族からは,コロナ禍にあって,以前のように頻繁に面会や世話ができないことが辛い,最期の看取りのために泊まり込んだりできないのが淋しいとの声を聴く。そうした会話をして,一緒に悲しい時間を過ごすこともある。看護師が同席していても,ケアマネが同席していても,家族の方と一緒に泣いてしまうこともある。この頃では,それもあまり恥ずかしくなくなった。

その上で,誤嚥性肺炎などの発熱エピソードのあったとき,施設でできる範囲で治療を行うとともに看取りの体制に入っても良いか,または積極的治療をしてもらえる病院へと転送するのかを,ご自身では判断のできなくなられたご本人に代わって,ご家族に判断していただくことにしている。

天草エアラインの整備士によると,現在2代目となった天草エアラインに使用されている「みぞか号」の寿命は15年とのことである。既に9年目になるという。やはり,着陸のショックを受け止める足回りが,最も早く傷みやすく,最も早く寿命を迎えるとのことだった。

飛行機も人間も,着陸するのが最も難しい。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2022年1月号
発行ナンバー147
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