十万山の四季Ⅹ ~落車の件~

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それは、12月上旬の平日の昼休みでのことだった。
 一年のうち日照時間が最も短い季節でもあり、マウンテンバイクでの十万山登山行が、なかなか出来ない。昼休みに、
二江~本渡間を、往路をロードバイクで復路は車で移動 又はその逆を週3〜4回、励行していた時の事だった。
 本渡・大矢崎の自宅を、昼食後の午後1時前にロードバイクで出発。海岸沿いで、二江の自院診療所を目指した。距離
は約16kmで35〜40分で到着する予定だ。たしか、午後2時には、コロナワクチンの予約が6名入っていた。
 本渡の自宅を出発した時は、北風ではあったが、それ程強くはなく、順調にペダルを漕ぎ出した。茂木根海水浴場を過
ぎ明瀬海岸へと到る坂道を登っていた時、何故だか嫌な気分に襲われたことを覚えている。
たしかその時、家へと引き返そうと思ったのだ。しかし、そういうことは、これまでも度々あることで、ものの10分もすれば
何も考えず、後を振り返らなくなるので、そのままペダルを漕ぎ続けた。
 佐伊津の街を通り過ぎ、御領へと到る下り坂を降りる。御領の街を通り過ぎ、鬼池へと到る坂道を再び登り、五和小・中
学校へと向かう直線の下り道に入った時だった。小さな峠を超えると突如、強烈な北風が向かい風として吹き出した。下り
坂を降りるているはずのロードバイクが加速しないままに、ハンドルがぶるぶると小刻みに振るえだした。走っているのは車
道であったため、後続の車には迷惑だなぁと思っていた。その下りの車道に沿うように造られた歩道は広く、その路面も滑
らかで、ロードバイクでも走りやすそうだった。
 車道と歩道の間には、約20㎝程の高さの、縁石(歩車道境界ブロック)が、設けられている。しかも30m間隔くらいに、そ
のブロックが設置されていない隙間があった。そこを通って歩道へと入ることにした。
 歩いている人もなく安心してその直線の歩道を下っていった。下りの道が終わり、再び少し上りの勾配となったようなすぐ
の処だった。
 あまりの強風の向かい風に顔が下を向いていたと思える。
 突然、眼下真正面に縁石が現れた。
 その時のロードバイクのスピードは、時速20㎞程だったろう。その縁石に気付いたのは、縁石手前2mのあたりだった。自
分の見た景色を、今でもはっきりと覚えている。その瞬間、どんなに強くブレーキをかけても、目の前のブロックへの衝撃的
な衝突は免れないことも理解していた。乗り越えることが出来ないことも。
 ロードバイクの前輪が、「ガチッ」という音とともに縁石に当たったあと、どんな風に、自分の身体が宙を飛び地面に叩き
付けられたのかは、全く覚えていない。気付いた時には、アスファルトの地面に、右斜め下のうつ伏せの姿勢で横たわっ
ていた。すぐだったと思う。意識が戻った。どこか、骨折しているのは必然だろうと思いながら、おそるおそる、身を起こし
た。何とか立ち上がれる。下肢の骨折は無い様だ。右手の手袋が破れていた。右手の第3、4、5指のPIP関節の橈骨側に
挫創を受けたようだった。。右膝もやや痛むが、その他、特に、可動制限はみられない。どうやらどこも骨折はしていないよ
うだった。顔や頭も特に痛む処はない。
 立ち上がり、その場所を確認した。バス停があり、そのバス停の空間を確保するために、縁石がほぼ直角に曲げられて
いたのだ。前方をよく確認していなかった自分のせいだ。周囲をみると、道路の向かい側で、草刈り機で除草しておられる
高齢の男性がおられたが、こちらを見ないようにしてくれていた。
 ロードバイクは、多分もう駄目だろうと思いながら、無残に倒れたバイクを起こしてみた。予想に反しハンドルは曲がって
いなかった。チェーンは外れていた。ブレーキも、正常に作動した。手で、チェーンを歯車に入れて、ペダルを手で回す
と、ガチッという音とともに元へと戻った。
 自分の診療所の職員か、既に診療中のはずの妻に、車で迎えに来てもらおうとぼんやり考えていたのだが、これなら自
力でも行けるかなと思い、再びサドルにまたがってペダルを漕いでみた。
 この間、わずか2〜3分のことだったろうと思う。小学生のとき自転車で転び擦り傷だらけになった時のことを思い出し、あ
の時と同じように泣きながらペダルを漕いだ。
 二江の診療所横の自宅には、なんとか無事に午後1時40分頃に着いた。サイクリングウェアを脱ぎ、シャワーをあびた。
右膝・右肘外側、右手の第3、4、5指の挫創がやや深く出血していた。
 自院の看護師を呼び、創保護テープ剤を貼ってもらい、午後2時には、無事にコロナワクチンの場に出動できた。
 夕方6時頃に自宅に戻り、この事故のことは、やはり、妻にも話さなければならないかもと、諦めていた。傷がもう少し浅け
れば、話さないですますつもりだった。
 こどもの頃、外でケガをして、それを親に見つかるのが嫌だったことを思い出していた。なぜだろう、心配させたり、悲しま
せたりするのが恐かったのか、怒られるのが嫌だったのか、その後の行動制限を強いられるのが嫌だったからなのかは、
わからない。多分、心配させたくなかったということが最もウエイトが大きい様な気がする。
 午後6時半頃、妻が帰宅した。ニッコリ笑ったまま「実は今日、自転車で転んで、ちょっとだけケガした」と話した。貼布剤
におおわれた傷跡を見せた。妻は、いきなりワナワナと震えながら、泣き出した。「もう、バカー」と云いながら、「頸の骨を
折らんで良かったねー」と泣き笑いする。
 このシーンが、最も恐れていたことだった。
 ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の中で、少年ギャング団の中の10歳くらいの男
の子が、別の少年ギャング団に襲われて、銃で撃たれて倒れた時、ロバート・デ・ニーロ役の少年の腕に抱かれたまま
「ちょっとすべってころんだ」と云いながら死んでいく悲しいシーンを思い出していた。
転倒時、右肘は、折れ曲がったまま自分の右胸部の下にあった。右肋骨は、恐らく、肋軟骨骨折していたのであろう、
その後1ヶ月くらい、呼吸の度に痛んだ。
正月明けくらいに、やっと、その痛みは消えて行った。

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