ムートンロートシルト1998

4月末の金曜日でした。陽が長くなったため、診療を終えてからでも、マウンテンバイクで十万山に登ることができます。裁判所を過ぎ、登り道に入ると不思議な匂いに包まれます。この季節,十万山に咲き乱れるさまざまな花の香りが、夕方の湿気に乗って山肌を降りてくるのです。その香りは数日前に飲んだワインのことを思い出させます。

 五和町二江の自宅には、三代目となったワインセラーがあります。一代目は、義父からのお下がりで、フォルスター社製の「ロングフレッシュ」。36本入りと小さかったため馴染みの居酒屋にプレゼントして、100本以上入る安物のワインセラーを購入しました。しかし,ガラスのドアがきちっと閉まらず、気に入りません。そこで,同サイズのドメティック社製のセラーを購入し今も使っています。ちなみに、

グランドハイアット福岡の一階にあるメインバー「マルティーニ」のワインセラーもドメティック社製です。

 三代目購入の頃は中国人によるワインの爆買いもなく、ボルドー五大シャトーも自分の手が届く範囲だったため、マルゴー、ムートン、ラフィットなど、6本入りの箱買いをしました。味もよくは分からず、日常の晩酌の友にしていました。年齢が50台となり、メインのアルコールが焼酎へと変わってからは、そのワインセラーを開けることはありませんでした。還暦を過ぎたこの頃は、ハムやチーズ、パンなどをよく食べるようになり,再びワインを嗜むようになりました。時には自分の胸元からワインの匂いが立ち上ります。久しぶりに三代目ワインセラーを開けてみると、10年以上前に購入し放置していたワインが数本ありました。Amazonでその価格を調べてみますと、購入した当時の値段の5〜10倍へ値上がりしています。今では、とても買える値段ではありません。

 サイクリスト仲間である「強者先輩医師」が古希を迎え非常勤となられ、あだ名を「手練れ先輩医師」へと、勝手に名称変更することにしました。コロナ禍でも許されるサイクリングツアーへ、手練れ先輩医師とご一緒したくなり、前夜祭もどきに、初めて我が家へお招きしました。ワインセラーを開け、1998年収穫の「ムートンロートシルト」を選びました。前座のシャンパンには、「グラン・コルドン」。シャルドネ白、トスカーナの「ヴィラ・アンティノリ」などを開けた後、ムートンへとかかりました。パリのトゥールダルジャンで求めたデキャンタボトルも用意しました。ムートンを3割ほどデキャンタボトルへ注いだ時、手練れ先輩医師がもうそのぐらいでと止めに入りました。手練れ先輩医師と奥様のワイングラスへ注ぐと、デキャンタボトルはもう空になりました。奥様は香りを楽しんだ後、思い切りよくグラスを一気飲みされました。次にデキャンタボトルに注いだムートンを、奥様と自分たち夫婦のグラスにも。まず匂いを嗅ぎます。小学校の頃訪れた図書館の古本の匂いがします。昔買ったBMW の本革シートの匂いもします。しばらくすると、いろんな花の香りがしてきました。

 手練れ先輩医師に聞いてみたかったことを尋ねました。

医師会や各種講演会の後に開かれる懇親会でのマナーについてです。「挨拶はどうすればいいのか?」というあの疑問です。手練れ先輩医師は酔った顔でしばらく沈黙した後、「懇親会の食べ物はまずいだろ、食わんでいいやん。」とおもむろに言われます。オープニングの挨拶と乾杯の後、適当にオードブルを選び適当にビールを飲んだら、挨拶へと立ち上がるのだそうです。挨拶をしたい人には大抵すでに他の人が挨拶をしているので、その挨拶している人の後ろにではなくて、挨拶されている人の後ろに隠れて待つのだそうです。すると、挨拶をしている人がそれに気付き、早々に挨拶を切り上げるのだそうです。そしてここが肝要なのですが、目的の方に挨拶ができた後は、自分に譲ってくれた方の所へ行き、また挨拶をするのだそうです。

 ムートンを飲んだ翌日、天草下島南半分のサイクリングに手練れ先輩医師を誘いました。

早浦湾の防波堤でロードバイクを降りました。数分後、青色吐息で手練れ先輩医師が追いついてきました。昨日、答えてくれた懇親会マナーについて、「それは、外科医局の先輩医師から伝統的に言い伝えられているものですか?」と再度尋ねてみました。すると手練れ先輩医師は「そんな伝統はないよ。挨拶中の相手に割り込んでいくのは、せっかくお話されている場を押しのけるようで失礼だしね。でも、もしかしたら相手も必要な挨拶は終わっているかもしれないしね。まあ、先客にお任せしますよって感じかな。」と教えてくれました。ムートンがセラーにあって良かったと思いました。この知恵はコロナ禍が終わったら大いに役立ちそうです。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2021年5月号
発行ナンバー144
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