イタリアン、はじめました

「山月記」を書いた中島敦はその中で、「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」と、虎になってしまった主人公に語らせる。

 医療に携わって、どこまで頑張ってみても自分の満足のいく医療はなかなか出来ず、そうだからと言って、何の努力もしないままでいるのは余計しんどい。結局、その相反する気持ちに折り合いをつけながら、診療を続けるしかないのだろう。

 そこで、中途半端な気分のままでも、自己満足が出来て、しかも、他人に迷惑をかけないであろう「お料理」なるものに挑戦してみることにした。

 今のコロナ禍では、外食というものが出来にくくなっているせいもある。いわゆる、コロナ禍を「奇貨として」のことだったかもしれない。

 最近の主なアルコール源は、赤ワインやブランデー、バーボンである。赤ワインに合って、気軽に作って、笑いながら楽しめるのは、やはり「イタリアン」となる。

「ネット」や「YouTube」で、イタリアンレシピを検索すると、数限りなく出てくる。速水もこみちのレシピ動画は大好きなシリーズである。他では、クラシルの動画は大変、参考になる。

最初に挑戦したのは、「ラタトゥユ」。いわゆる、イタリア風野菜の煮込み料理である。その材料には、ズッキーニ、ナス、赤・黄パプリカ、ニンニク、玉ねぎ、ベーコン、ホールトマトが挙げられる。

ところで、イタリアン料理には基本というものがある。まず、フライパンを熱し、オリーブオイルを垂らす。そこに、みじん切りか、すりおろしかの、ニンニクを投入する。ニンニクの匂いが立ったら、「お料理」が始まる。これが、ほぼ全てのイタリアン料理に共通する基本となる。今年5月頃から、次から次に、毎日の様に、チャレンジした。

前菜としてのラタトゥユは、ほぼ毎日。それに加えて、バーニャカウダ、ビーフステーキのタリアータ、魚介のトマトクリームパスタ、たことトマトの冷たいカッペリーニ、ハム・ベーコンのペペロンチーノ、ペンネ・アラビアータ、サーロインステーキ肉のメキシカン・パエリア、タパス、イカとアサリのパエリアなどなど。ドライイーストを使って、フォカッチャも焼いた。

毎日、診療を終えたあと、台所に立つ。野菜や、魚介類の下拵えから始める。

なにせ、生まれてこの方、包庁を握ることも初めての経験なのだ。エプロンをかけて台所に立ち、フライパン、鍋、まな板、包庁などを手に、格闘する。

買い物は、夕方のダイレックスかサンリブである。何回も通ううちに、どの商品がどこにあるかも覚えてきた。レジでは籠に大量の品物が入っている人の後ろには並ばないようにした。コロナのおかげでマスクをしているので、こちらが誰だか判りにくいのもありがたい。天草には数少ないアンチョビのありかも覚えた。どうしても天草で手に入らないものは、AMAZONにて購入。イタリアンパセリやスイートバジルなどハーブ系植物は、鉢植えのものを揃えた。

イタリアン料理に使われる、調味料や食材、スパイスなどの名前も覚えていった。オリーブオイルは数種類、バルサミコ、ワインビネガー、パルミジャーノレッジャーノ、ブラックペッパー。サフラン、オレガノ、クミン、ローリエなどの名前も覚えたが、まだその使い分けは出来ない。コンビニに売られているドレッシングで、なぜフレンチは白色で,イタリアンは茶色なのかの理由もわかってきた。

ところで、料理を始めて、気付いたものに、自分の心理状態の変化というものがある。加熱したフライパンにオリーブオイルを垂らし、ニンニクのみじん切りを投入すると、10数秒程度で、強力な香ばしいニンニクの匂いが立ち上がる。その頃には、もう、この世の他のことは全て忘れて、料理に没頭してしまうのである。株価が下がってクヨクヨしていたことや、中洲に遊びに行けずにいるうっぷんも消え失せ、妻の機嫌が悪いのも気にならず、昨日のことも明日のことも考えず、後悔も期待もせず、ただ、そこに立って無心に料理という動作を続けている自分に、ふと気付く。

いわゆる「邪気払い」となっているのであろう。そう考えると、ドラキュラが、ニンニクの匂いを苦手としていることも、納得の行くこととなる。ついでながら、うちの山の神も、診療を終え帰宅すると、匂いに釣られてか、ニコニコ顔で帰るようになった。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号1993年1月号
発行ナンバー146
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