十万山の四季Ⅷ~翼~

(ⅰ)島原半島一周

建国記念日の2月11日、ロードバイクを鬼池~口之津フェリーに積み込みました。島原半島一周の旅に出るのです。島原フェリーは、コロナの影響により減便されており、一船のみの往復運航となっています。鬼池港8時45分発の便でした。

 久し振りに訪れた口之津港は、新築されており、その規模やたたずまいに南島原市の観光力を感じます。午前9時半に港を出て国道251号線を時計回りで小浜方面へと向かいます。口之津~小浜~愛野~多比良~島原~南島原~口之津へと戻る一周は約110㎞、口之津発の最終便17時45分までには帰り着かねばなりません。タイムリミットは8時間です。

 我がロードバイクは、軽快に車道の海沿いを進みます。加津佐あたりでは、祝日だからか、教会の鐘の音が鳴り響きます。やがて小浜温泉に到着。最初の休憩をとりました。海沿いのセブン・イレブンでアイスコーヒーとおにぎりを1個頬張ります。この後の、小浜から愛野へ到る途中の急登が最も不安に思っていた処でした。小浜を過ぎてしばらく走ると、急登となる国道の手前から、県道201号という道路があることに気付きました。グーグルマップで調べてみます。どうやら急登を行くことなく、愛野へと到ることが出来そうです。

 長崎県道「201号」は、通称北野千々石線と呼ばれる道路で、かつての軽便鉄道「雲仙鉄道」の跡に造られた道路とのことです。鉄道レール幅程の道が、ゆるいカーブを描きながら続きます。かつて、温泉鉄道と呼ばれたその道は、鉄道用であるだけに狭く、石組みのトンネルや両側を深く抉られた谷底のような箇所を幾度となく通ります。対向してくる車もなく、後ろから追い上げてくる車もなく、悠然とその不思議感満載の緑の道路を進みます。(写真)

 なぜ不思議な気分かと考えてみました。いつも通る道路と、縦・横・高さの規格が全て異なり、約1/2だったからではと、今になっては思います。サイクリストのためのイッツ・ア・スモールワールドみたいです。無事に愛野の街へとたどり着いた頃は、丁度、正午頃となっていました。空腹を覚えました。長崎へ来たからには昼食はチャンポンかなと思い探しますが、コロナ禍のためかどこも閉まっています。雲仙市に入り、ようやく営業中のチャンポン屋を発見。税込み620円のチャンポンを一瞬にして完食。すぐにルートへ戻ります。神代、多比良、大三東を過ぎた頃、国道の海側を走る、島原鉄道線路を黄色の一両編成のカフェトレイン号が、カタッ・コトッと私をゆっくり追い抜いてゆきます。右側に望む、雲仙普賢岳と、島原・眉山の位置関係が、天草からいつも観るのと左・右逆であることに気付きました。しばらく走ると、街並みが現われてきました。島原市内に入ったようです。島原市は、本渡と同じくらいの町だろうと思っていたのですが、国道沿いだけでも、焼肉店が何件もあり、本渡の町より大きいことが伺えます。左へと島原外港の標識あり。そのまま直進すると、九十九ホテルとの看板があります。「つくも」と呼ぶのだそうです。同じく長崎県佐世保市にある老舗のせんぺい屋さんは、同じ文字の九十九で「くじゅうく」と呼びます。不思議でした。島原市の「九十九(つくも)」は、西暦1792年の5月「島原大変肥後迷惑」で有名な眉山崩落で出来た島だとのことです。

帰りの時間を気にしながら、最後の1/4の行程のペダルをこぎました。左側には、三角半島の海岸線、湯島の北側がみえます。直進方向には、私の住む五和町や通詞島も見えてきました。たった7時間前に出発した処に、やっと反対側からたどりつきます。口之津ではカステラ屋さんがやけに目に付きました。

いつも住む場所ながら、対岸から見る天草に遠く懐しいような、いつもの生活に戻るのが、ちょっとためらわれるような、複雑な気分でした。

午後4時発の鬼池フェリーには乗り遅れました。行きのフェリーから見えた口之津歴史民族資料館が開いてないか電話をしてみました。午後4時半までに入館するなら午後5時までは良いとのこと。口之津港を通り過ぎ三叉路を左折。赤い橋を渡ると歴史民俗資料館に辿り着きました。入館料の300円を払い、中へと入ります。他に客はなく、ガラーンとしています。

資料館館長の50代男性が説明のため付き添ってくれました。私の姿格好をみてサイクリストだと判ったのか、自分も昔、激しく自転車レースをやっていたと云われます。一度に500㎞近く走ったこともあるとのこと。フランス語で認定を意味する「ブルべ」というのだそうです。

館内に、大きな写真がありました。明治時代、三池炭鉱から運ばれた石炭を、中国や東南アジア方面へ運ぶため、小さな船から本船へと、何列もの梯子に女性が連なっています。石炭を下から上へと手作業で運ぶのです。その船倉に紛れて、天草から出た「からゆきさん」たちも、大勢、異国へと渡って行ったとのこと。私が今観るのと同じ故郷天草の姿を目に焼き付けながら。

(ⅱ)天草下島一周

暦の上では、2月までが冬、3月からは春と、一応区切られているようです。その季節の境目となる2月28日は日曜日でした。小児科当番医にも当たっていません。

島原半島一周に成功したためか、今回は、海岸線を回る天草下島一周、140㎞にチャレンジしてみることに。

朝マックの後、朝8時半に本渡、大矢崎の家を出発。反時計回りに廻ることにしました。理由はありません。風は、東風(こち)でした。菅原道真公の詠んだ歌でも春の季語となっています。午前9時頃に二江の自宅に到着。手動のコーヒーミルで、マンダリン豆をひき、ゆっくりしました。

30分後に自宅を出発。苓北方面へ。1時間後には、一人きりの下田温泉足湯を堪能していました。11時に下田を出発。高浜、十三仏公園からの、東シナ海は、青空のもと絶景。向こうに野母半島がかすんでいます。大江トンネルに至る坂道を必死にペダルを漕ぎます。トンネルを抜けると、ゆるやかな下り坂が続きます。300円を支払い大江天主堂の下のロザリオ館へ。入館直後、仏教での慈母観音像によく似た、イエス・キリストを抱くマリア像が目を惹きます。ぐるっと廻って退館間際、天主堂を建立した、ガルニエ神父の出身地でもあるフランス南部の街、ル・ピュイ在住の姪から、天主堂落成のお祝いにと送られた「お告げの絵」と呼ばれる、いわゆる「受胎告知」の絵が、とても印象に残りました。

トンネルを幾つか無事通過し、崎津へ。崎津の天主堂の写メを撮ります。(写真)

河浦町路木近くのデイリーストアで玉子サンド入りのホットドッグをむさぼり食べ、再出発です。早浦・二浦方面へ。茂串を経由し、牛深ハイヤ大橋を渡ります。

牛深・海彩館に到着したのは、午後2時でした。1500円の刺身定食を、ノンアルコールビールとともに完食。海彩館を出発したのは、午後2時半頃でした。久玉の交差点を右折。深海方面へと向かいます。

大の浦から山ノ浦へと到る坂道は、十万山で鍛えた脚力がものをいいます。宮野河内、上平から、中田港までは、カーブを曲がる度に、東の風が追い風・向かい風へと入り替わります。風に乗ってか、山肌からは、春の草萌える香りが漂ってきます。

小休憩のあと午後4時半に中田港フェリー乗り場を出発。本渡までもう一息です。午後5時半、無事に本渡の家に帰り着きました。休憩時間も含め、約9時間の小旅行となりました。お告げの絵の天使を見たからでしょうか、湯船に浸かりながら自分の背中に翼が生えているような気がしていました。ロードバイクと云う名前の。

天草医報2022年1月号へ掲載予定 2021年12月20日校了

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