新年の祈り

今年の年末年始は, 大晦日が妻の十万山クリニック, 1月2日が二江の自分のクリニックと, 小児科当番医で明け暮れました。12月初め頃から流行り始めたインフルエンザは, 次第にその勢いを増していました。十万山クリニックの当番医では, 妻と二人で二診体制としていました。里帰りしてこられた新患初診の方が多いためか, 午前早々に受付事務がパンクしました。カルテが診察室に回ってこないため, 診察が進みません。殆どの患児はインフルエンザの疑いで検査をするので, その結果説明のため, 再度診察室に呼び込むことになります。待合室は, 私が子供の頃50年前の本渡バスセンターの待合所を彷彿とさせるもので, 廊下の床に座って泣き喚く子供がいる頃には, さながら阿鼻叫喚の巷となっていました。あまりのことに, 私は緊張の糸が切れてしまったのか, 急に脱力感に襲われ, 自分で名づけた「超高速回転レシーブ」の技が繰り出せません。私の様子を見た妻は, 次第にテンションが上がり始め, 高速回転レシーブ状態に。私は一人帰る訳にもいかず, 迷走スタイルのまま, 診察を続けました。

夕方6時過ぎ, やっと終わりましたが, すでに大晦日の夜を楽しむ精神的余裕がなくなっていました。何とか復活を果たそうと, いつものようにペルラの湯舟へ行きました。しかし駐車場は停めるスペースもなく, ごった返していて, 風呂を諦めて自宅へ帰りました。缶ビールの栓を開け, 梅干を肴に一人やさぐれ寂しく飲んでいると, 元気な妻が, 揚げるだけにしたトンカツを持って帰ってきました。肴は揚げたてのトンカツへ, 酒は焼酎へと変わり, 我が一年は暮れていきました。疲れ果てていたのか, 9時過ぎには布団へ入り眠ってしまいました。正月の朝は, 8時過ぎに起きました。楽しかった筈の大晦日の夜が悔やまれて, 朝からも, はぶてた気分が続いていました。翌2日は, 二江の自分の診療所が小児科当番ですので, どこに行くあてもなく, 朝から熱燗をつけ, ぐい飲みで飲み続けることになってしまいました。北九州から一緒に正月を過ごすために天草へ来ていた義父と一緒にやっているうちに, あっという間に四合瓶を開けてしまいました。気分も少し回復してきたので, せめて, 天草島内をドライブしようと, 私と妻, 母と義父との4人で車に乗り込みました。もちろん, 妻の運転です。天気は良かったので, 最初に, 十万山へ行きました。九合目の藍の風薫る丘から見た雲仙~有明海~本渡の街並み~不知火海の風景は, 広々として心を癒してくれるものでした。次に向かったのは, 下浦, 金焼の海でした。新春の陽光降り注ぐ金焼の入り組んだ入り江は, 穏やかで翠色に光り, 天草の原風景の趣があります。そのまま車を走らせ, 栖本町へ来ました。倉岳山頂へ初詣に行こうかとも考えましたが, 80歳台の年寄りを二人連れていたので, くねくね道では疲れるだろうと思いとどめ, 近くの「いげ神様」へ, 参拝することにしました。駐車場には数台の車がありました。お堂に入ると, 数組の家族がお参りしたり, 待っていたりしていました。私たちも, 後ろに並びました。神仏一体となった祭壇に対し, 鈴を鳴らし, 二拍手, 手を合わせ頭を垂れ, 線香をあげます。その後一拍手をして, 御神水を小さな柄杓でいただき, 手のひらに少量こぼし, それを頭や体のあちこちに振り清め, 一年の無病息災を願います。私も無事に参拝を済ませましたが, ドライブ出発前の熱燗が程よくきいてきて, やっとゆっくりとした気分になっていました。部屋の隅に胡坐をかいて, 私たちの後に参拝する人々の様子をぼんやり眺めていました。段々, 堂内にあるものが, 目に映るようになりました。壁のあちこち至る所に文字の書かれた紙が貼り付けてあります。なんだろうと思い, 立ち上がりました。学校や大学への入試合格祈願もありましたが, 殆どは, 健康回復, 病平癒の願いです。ふと, 一枚の紙に惹かれました。「子どもの病気が治りますように」と何十回も繰り返し書かれています。じっと眺めているうちに, 涙があふれてきました。私も妻も「子どもの病気を治す」仕事に携わっています。人々の最も大きな祈りである健康や病平癒のための仕事をすることで, 私達も生かされていること, その有難さを思いました。昨日大晦日, あまりの患者の多さに辟易してはぶててしまった自分に不甲斐ない思いを抱きつつ, 元旦の夕方帰途につきました。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2018年1月号
発行ナンバー134
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