二つの般若

昨年の夏は,テレビをつけると政治家や芸能人の不倫の話題ばかりで,いささか食傷気味でした。とりわけ,にわかユーチューバーとなった女優Mの鬼気迫る非難の表情には,まるで自分が責めたてられているかのような恐怖を覚えました。その嫉妬に燃える表情を眺めているうちに思い出したのが,能の「鉄輪」という話です。ある夜,京都貴船神社の社人に,丑の刻参りをする都の女にご神託を伝えよという夢のお告げがあります。その女は,自分を捨てて若い後妻を娶った夫に報いを受けさせるため,遠い道のりを幾晩も真夜中の貴船神社に詣でていたのです。真夜中,お告げのとおり女が現れます。社人は,『鉄輪を逆さにして,3つの脚にろうそくを点して頭にかぶり,怒る心を持ち続けるなら,望みどおり「般若」という鬼になれる』とご神託を告げます。元の夫に懇願され,女の恨みを祈祷ではねかえそうと登場するのが陰陽師安倍清明。祈祷により鬼女は退けられますが,時機を伺うと言い残して姿を消すのでした。この能は新藤兼人監督により映画化もされています。音羽信子さんの演じる女の形相には,身の毛がよだつ思いがします。

「般若」は,サンスクリット語で「プラジュニャー」,パーリ語で「ハンニャー」と発音されます。つまり,れっきとした仏教用語です。私が「般若」という文言を見たとき1番に思い出すのは般若心経です。般若心経における般若は,観自在菩薩が深く行をしたときに得る「真実本来の智恵」をさすそうです。ということは,嫉妬に狂った女の鬼の形相と,菩薩の得る本来の智恵とが同じ文言を使って表現されていることになります。

「般若」の持つ2つの意味がどうして生じたかについては諸説あります。般若坊という僧侶が始めてそのお面を作ったところから,そのお面を般若というようになったという説。あるいは,源氏物語において,光源氏の最初の正妻である葵の上が,葵祭りの見物の際,牛車を停める場所争いで辱めを受けた六条の御息所の嫉妬の生霊に悩まされ,その退治祈祷のために読んだお経が般若経であったことから,般若がその怨霊をあらわす鬼の名前になったという説。しかし,いずれの説も説得力にかけるような気がします。

禅や密教などの行者が深い無意識の状態に没入したときをメディテイション(瞑想)といい,脳活動としてはデフォルトモードネットワークの状態といわれます。この状態は,前頭葉などの大脳新皮質と視床・海馬・扁桃体などの大脳辺縁系とをつなぐ「大脳安定化装置」の門,いわゆる無意識と意識を隔てている門が,セロトニン系の賦活化により開いた状態です。深い宗教体験を経験したり種々の芸術的創造が活発化したりする状態でもあります。一方,その門はアドレナリン系の賦活化によっても開いてしまうこともあるそうで,それは嫉妬や妄想などの感情に基づく魑魅魍魎が噴出してくる瞬間でもあるのです。そういえば,認知症老人のせん妄も,昼夜逆転や不安などの高ストレス下の緊張状態で発生することをたびたび経験します。つまり,「般若」とは,意識と無意識の世界の関門が開き2つの世界がつながった状態を表現していると考えれば,セロトニン系賦活による「本来の智恵」とアドレナリン系賦活による「嫉妬に狂った鬼の形相」を統一的に理解することができそうです。

ちなみに,般若の前段階,すなわち,女性の中の魔性がまだ十分に熟していない状態を「生成」(なまなり)というそうです。「生成」の両側前額部からは小さな角がのぞいています。それを隠すのが,結婚式で新婦がかぶる「角隠し」だといわれています。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2018年5月号
発行ナンバー135
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