5月中旬のある晴れた朝のことだった。いつものように、午前7時過ぎに、本渡の自宅を出て車で、二江の自院クリニックへと出発した。佐伊津へ至る明瀬海岸を走っていた。右手は、青空の下、有明海が青く広がっている。右斜め前方には、雲仙普賢岳も、くっきりとその稜線を現わしていた。空を見上げると、雲のない青空に、3本の白い線が交差したままどこまでも走っている。飛行機雲だ。どこからどこへ向かう飛行機なのか気になり、途中のコンビニ「Lawson」の駐車場に車を停めた。
スマホでいつものアプリ「Flightradar24」をひらく。熊本市上空あたりから、天草西海岸方向へ伸びる飛行機雲は、名古屋国際空港を出発し、北京空港を経由してベトナムのハノイへ向かう飛行機だった。島原上空から天草上島上空へと伸びる飛行機雲は、韓国のソウルを出発し、サイパンへと向かう飛行機のものだ。熊本の北側から真っ直ぐに南下していく飛行機雲は、福岡空港を7:05に出発し、沖縄の那覇空港へと向かう、ANA1201便だった。
その3本の飛行機雲をしばらく眺めていた。それらの3機の飛行機に乗る乗客たちのことを想像していた。日本人、中国人、韓国人、ベトナム、米国、仏などなど、肌の色や顔貌も様々だ。どの人の顔も、旅の始まりに喜び、旅の終わりに疲れていた。
「深夜特急」を書いた作家・沢木耕太郎は、そのエッセイ集「銀河を渡る」の中で、旅には2種類あると書いている。すなわち、「夢見た旅」と「余儀ない旅」だ。人は生きるために仕事という「余儀ない旅」を続けながら、時に「夢見た旅」をするのだという。
自分は今日まさに、「余儀ない旅」の途中にあるのだ。上空にある飛行機の中にも、「余儀ない旅」の途中の乗客もいれば、「夢見た旅」の途中の方々もいるのだ。ここ、天草の道路を走る車にも、「余儀ない旅」の途中の方もいれば、「夢見た旅」の途中の車もあるのだろう。そう考えているうちに、自分も今「旅」の途中にあるのだという不思議な感覚が下りてきた。旅気分となったのだ。
その日の午後は、クリニックは休みとなっていた。旅気分のまま、なんでもいいので、とにかく旅に出ようと思った。
天草には、本渡の市街地を廻る「のってみゅーか」と名付けられた巡回バスがある。どこから、どこまで乗っても180円だ。その日の夕方、本渡自宅近くにあるバス停で「のってみゅーか」号を待った。近くのコンビニで、缶ビール大も1本買っていた。
ジブリ映画「となりのトトロ」にでてくる猫バスに似た小型の青いバスが近づいてきた。天草ハイヤ踊りのイラストも入っている。ドアが開き、乗り込むと、一列は、2人かけと、1人がけの3人で、縦に5~6列のある車内だった。満席でも20人足らずの客席だろう。誰も乗っていなかった。いちばん後ろの、横一列につながった座席の真ん中に陣取り、缶ビールの栓を開けた。
窓から見える風景は、最初、いつもの見慣れた風景だった。しかし、その風景は次第次第に、初めて見る景色へと変わっていった。無性にバス旅がしたくなった、1時間後くらいに、さっき乗ったバス停が近づいてきた。「夢見る旅」から「余儀ない旅」への境界がそこにあった。
掲載情報
掲載誌 | 天草医報 |
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掲載号 | 2024年7月号 |
発行ナンバー | 153 |