十万山の四季Ⅳ-2

(ⅱ)風にのって                       

若い頃から、方向感覚は良い方です。いつも、頭の片隅には地図があり、自分が今どこに居るのかを無意識のところで感じています。公共交通機関(バス、電車、飛行機、地下鉄)に乗っている時や、自分の車で移動するときも、常に頭の中に地図とコンパスがあり、ナビゲーションのように、自分が今、どの辺りをどの方向へ移動しているのかを頻繁に確認しています。雄としての特徴なのかもしれません。

十万山をマウンテンバイクで登るようになり、2年が過ぎました。ロードバイクで自称の「旅」に出るようになり、1年が経ちました。そんなある時、自分のポジショニングの手段として、新たな手法が加わっていることに気づきました。それは、風の「向き」と「強さ」です。車で移動すると、道路沿いには、ところどころに、いろんなお店やイベントなどを広告した「旗」が立っています。その旗の向きやはためき方を見て、その地点での風向きや風力を瞬時に判断できるようになっていたのです。

昨年6月末土曜日のことでした。梅雨明けを待つ天草は、梅雨前線が天草を中心に南北へと目まぐるしく移動し、なかなか、天気予報通りとなりません。その日は、午前中は雨、午後から雨上がるとの予報でした。ロードバイク強者(つわもの)先輩の医師とロードバイクでの「旅」にでる約束をしていました。午後1時に、妻のクリニック駐車場で待ち合わせ。目的地は、本渡から天草下島を反時計回りに海岸沿いで行く下田温泉の足湯です。約束の時間になっても雨は降り止みません。今日はやっぱり難しいかなあと、空を見上げながら、駐車場で待っていると、強者先輩医師が何の迷いもない強面の表情で、黄色いロードバイクを駆って現れました。私は前立ちを仰せつかりました。

雨の中を、茂木根海岸経由で、五和町鬼池方面へと進みます。すると幸いなことに佐伊津あたりで、雨は止んでくれました。ところが、梅雨前線がさらに北上したのか、風が吹き始めました。鬼池フェリー乗り場のカーブまでは良かったのです。カーブを左へ90度曲がり、苓北町方面へと向かった途端、真正面からの向かい風となりました。強者先輩医師がいるはずの後ろを振り返る余裕はなく、また、後ろからどつかれそうな恐怖もあり、ニ江の道の駅イルカまで、ペダルを力の限り漕ぎ続けました。

道の駅イルカに着いて、後ろをやっと振り返りました。ところが、強者先輩医師は、そこにいません。しばらく待っていました。途中で何かあったのでは?と心配していたところ、いつもの苦み走った顔で現れました。自動販売機で買ったアクエリアスを、二人とも笑顔で、腰に手を当て一気に飲み干し、再びサドルにまたがり、苓北下田方面へと向かいました。

苓北の火力発電所を過ぎた頃からは、まさにペダルを漕ぐ力とロードバイクの対地スピードの折り合いがつかないほどの超絶強風となっていました。またしても後ろを振り返る余裕はありません。何も考えず、力一杯ペダルを漕ぎました。道の駅イルカを出発して、約1時間ちょっとで、二人ともやっとのことで、下田温泉の足湯に到着しました。

元々、短パンのサイクルウエアだったため、靴を脱ぎ、そのまま足湯へと入りました。梅雨明け前の湿った空気とはいえ、一瞬の夏の青空の下、とても気持ちの良い足湯となりました。強者先輩医師も、初めて見るようなニコニコ笑顔です。ゆっくり休んだ後は、なんとか帰らねばなりません。元々は、反時計回りに一周する予定でしたので、下田から福連木を経由、枦宇土、天草地域医療センター前を通って、本渡へ帰る予定だったのです。しばらく、思案をしていた強者先輩医師は、私にコース変更を告げました。今通ってきた道で帰ることになりました。

足湯を出発し、元来た国道へ出て、苓北町方面へ。すると今度は、当然のことながら、さっきとは逆に追い風です。ギアをトップギアに上げても、ペダルを漕ぐ力は殆ど不要なのです。スピードメーターは、軽々と40km/hrを示します。苓北火電横の直線道路を通る頃には、殆ど宙を飛ぶような感覚を味わいました。

この南風を、天草では「ハエ」と呼ぶそうです。「ハイヤ踊り」の「ハイヤ」の語源となった言葉です。鹿児島県出水市で越冬し、相方をみつけて夫婦となったツルは、春先の2〜3月に吹く南風に乗って、遠くシベリアへと帰っていきます。中国から仏教を日本に伝えた鑑真和尚も、薩摩芋焼酎の醸造技術も、ニニギノミコトの天孫降臨伝説も、全てこの南風に乗って薩摩半島西岸に渡ってきたことのようです。16世紀に天草や長崎県の離島に、南蛮文化やキリスト教をはこんできた大型帆船にとっても、南風は追い風であり、船足を伸ばしたことだろうと思います。

その夜は、強者先輩医師宅にて、散々呑み明かしてしまいました。因みに、強者先輩医師とは、私に十万山マウンテンバイク登山行のきっかけを与えてくれた、天草地域医療センター院長の原田和則先生です。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2020年5月号
発行ナンバー141
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