十万山の四季Ⅳ

(ⅰ)私の好きな音

私たちは、起きて活動している間、いつも何かしらの音に囲まれています。今もこのホテルロビーでは、ボサノバの軽やかなギターのBGMに、TVから流れる芸人の声やロビーでくつろぐ人たちの笑い声、ホテルの外を車が通り過ぎていく音が聞こえます。そのほとんどは、こちらから積極的に聴こうとしなければ、脳の中で勝手にシャットアウトされている音です。一方、聴こうとしなくても、自然と私の耳に入ってくる音があることに、気づきました。

1つ目は、毎日のようにマウンテンバイクで十万山を登っているうちに、気づいた音です。6合目の旧こども公園跡を過ぎると、勾配が上がってきます。スピードが落ちてきます。全身に力がみなぎり、ペダルを踏み込む力も増してきます。すると、聴こえてくる音があるのです。それは、マウンテンバイクのタイヤが、アスファルトの地面を噛む音です。「ズウーー」という濁音なのですが、とても心地よい音なのです。その頃には、私の意識は遠くの彼方へと遠ざかり、他の音は全て聴こえなくなっています。身体が勝手にペダルを漕ぐだけで、何も考えずに「今」と「ここ」に留まっていられる時間です。

二つ目は、これも十万山で経験する音です。3合目あたりの淡嶋神社を過ぎた頃、時々出迎えてくれる鳥がいます。小さな身体の割に長い、ピンとした尾を、上下にピクピク降って待っていてくれます。キセキレイです。マウンテンバイクで近づくと、私に気づき、30mくらい、前方へ行きます。また近づくと、再び前方へと飛んでいき、私に道案内をしてくれます。「チィチィン、チィチィン」や、「スチィスチィ」と聴こえるような鳴き声です。その声は、私の中に沁み渡り、自分自身が、十万山の森の精と一体化したような気分になります。気分を癒してくれる、とても可愛い相棒です。

三つ目は、夜中にふと目覚めたとき、布団の中で聴く、部屋の窓を叩く雨の音です。なぜだか、子どもの頃に聞いていたような安心する音なのです。これも濁音で、「ザーツ」という音です。いつまでも聴いていたいのに、しばらくすると、そのまま、また眠りに落ちてしまいます。

ある時「鳴き砂」という音があることを知りました。調べてみると、近くでは、福岡県糸島市に「姉子の浜」という海岸があり、九州では唯一の鳴き砂が聴けるところのようです。夫婦で訪ねてみました。玄界灘に面する白い砂浜は、海岸線が狭く、玄界灘の波長の大きな波は、護岸壁近くまで打ち寄せます。黒いウエットスーツ姿のサーファーがところどころに浮かんでいます。砂浜からの階段を登ってきた70代の男性に「砂は鳴きますか?」と尋ねてみました。すると、「今は満潮に近く、砂は湿っていて鳴かない。向こうの乾いた砂の所まで行けば、鳴くかもしれない。」と教えられ、行ってみることにしました。砂浜に降り、靴で砂を下に蹴るようにしながら歩きます。砂は湿っていて鳴きません。しばらく歩いてみましたが、とうとう諦めて国道へ出ました。糸島市観光協会の二丈案内所との看板のある青い屋根の建物に入りました。案内所には、70代くらいの女性と、先ほど出会った男性がおられました。砂は鳴かなかったことを告げると、女性は奥から砂の入ったスリ鉢を持ってこられました。中には砂浜から取ってきたと思われる砂が入っていました。スリコギ棒で、上から垂直に優しく砂を叩いてくれました。「キュッ、キュッ、キュッ」と心の深いところをつかまれるような不思議な音がします。自分でも試してみたくなり、すり鉢を借りました。砂は、やさしく「キュッ、キュッ、キュッ」と囁きます。4つ目の好きな音になりました。

最後は、私の最も好きな音です。平日の夕方、雨さえ降らなければ、芝犬モモちゃんを連れて散歩します。大矢崎の家を出て、近くの本渡中学校裏の防波堤へ。中学校体育館裏へ差し掛かる頃、聴こえてくる音があります。穏やかな有明の海が、防波堤の外の石塁を洗う音です。文字で表現することがとても難しいです。ジャズピアノの軽やかな音にも似ています。自分の中の最も深い処で響いている音だからでしょうか。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2020年5月号
発行ナンバー141
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