十万山の四季Ⅲ ~非日常と自由~

ⅰ)日常の中の非日常

「旅に出て来るね」と告げて家を出ます。自転車での遠乗りに出る際,妻にかける言葉です。遠乗りといっても,往復100㎞位の行程なので天草から脱出するまでには至りません。ただ,自分では気分は既に「旅」なのです。サイクリングウェア上下を着て,手袋を付け,ヘルメットをかぶります。背中のポケットにスマホと小銭入れを入れると,もはや準備完了です。サドルにまたがりペダルに足を懸けます。スーパーマンがマントを羽織って空へ飛び出す前の気分,あるいは追い風を帆に受けて桟橋から離れるヨットに乗った気分は,かくやと思われます。自転車でペダルを漕ぎ出す瞬間,まさに自由の世界への入口に立つのです。

 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは,今から330年前の西暦1689年,芭蕉が45歳の春でした。その序文に,「予もいづれの年よりか,片雲の風に誘われて,漂白の思ひやまず,そぞろ神の物につきて心を狂はせ,道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」とあります。旅とは,「非日常」と「自由」の合体した象徴なのでしょう。

 9月下旬のある日曜日でした。早朝から妻と緑地公園を4周程ウォーキングしました。その後朝10時過ぎに,「旅に出る」ことを妻に告げました。目的地はとりあえず上天草市,松島の「龍の足湯」です。本渡の家を10時半に出発。旧瀬戸橋を渡り,下浦から栖本へと至る暗いトンネルの歩道側を目をこらしてすすみます。丁度11時に栖本のファミマでコーヒータイムです。有明町の老岳と倉岳に挟まれた県道34号線(天草街道)を教良木方面へ進みます。長い登り坂のあと,爽やかな風に包まれながら下り坂を満喫します。教良木を経由し知十橋へ。今津小学校へと至る坂道を登ると,あとは一気に下って合津港です。「龍の足湯」に到着したのは12時半でした。保育園年長組から小学校低学年のこどもたち数人が遊んでいます。「おじさん,どこから来たの?」と尋ねられました。あまりに近いとがっかりされるなとは思いましたが,正直に「本渡から」と答えました。すると「ほんどって,どこ?」と更に聞かれます。ちょっと,ほっとしました。

 空腹を覚え,周りを見回すと「ラーメン・チャンポン」の看板が。完食のあと,もうしばらく休憩をと思い,港の桟橋へ。5~6組の若い家族連れが,魚釣りをしていました。天草西海岸で盛んに釣りをしていた私には,こんな処で何が釣れるんだろうと不思議に思われ,見に行くことに。どの家族も釣果なし。一番先端に居た家族の処へ行くと,大きなクーラーボックスに海水が張ってあり,3㎝位の赤い小魚が2匹泳いでいます。これは,いわゆる「金魚」と呼ばれる餌取りのすずめ鯛では?と思ったものの,何も云えずにその場を立ち去りました。自分のロードバイクへ戻りながら,ふと,あの3歳位のこどもを連れた若夫婦にとっては,この釣りの世界もまた私と同じく非日常なのでは?と,なんとなく腑に落ちるものがありました。午後1時半に「龍の足湯」を後にしました。松島有料自動車道は,自転車は通れません。道沿いの国道を往きます。上津浦や須子など3~4か所の急な坂道を越えると,リップルランドあたりにでます。そこから先は車も増えるので用心をしながら走ります。午後3時すぎに大矢崎のセブンイレブンに到着。いつものアイスコーヒーを一気に飲み干し,店の外に出ると,まだ,夏の盛りのような見事な入道雲が私を見降ろしています。臨済禅の公案集「無門関」にでてくる一節「自在に泥団を放下して,破笠裏に無限の青嵐を盛る」の心境です。

 十万山で鍛えた脚に任せて行く,私のサイクリング旅も,あのこども連れの若夫婦の魚釣りのような,不思議で捉えどころのない非日常の時間かもしれません。「旅行けば~」で始まる広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」には「一里踏み出しや,旅の空」との一句がでてきます。これからも,日常の中の非日常的な「旅」を,安全に楽しく続けていこうと思っています。

(ⅱ)自由のオーラを纏った女神

 11月中旬の快晴の日曜日でした。朝7時に自宅を出発し,夫婦そろって天草地域健診センターでの健診受診です。各検査はテキパキと済んでいきます。最後,胃カメラの検査を受けたあとは,カーテンで仕切られたベッドで少しの時間,熟睡していたようです。気持ち良く目覚めた後,受付前の待合で待っていると,程なく診察に呼ばれました。胸に聴診器を当てられ腹部を触診されると神妙な心持ちとなるから不思議です。患者さんの気持ちが少し分かったような。全てが終わっても,まだ朝の10時過ぎでした。朝マックをドライブスルーにてゲットし,本渡の母宅で空腹の胃袋に補給します。

 11時前にロードバイクにまたがり,天草上島一周の旅に出ることに。工業高校正門前を通過し,旧瀬戸橋へと向かいました。すると,来年1月まで工事のため通行出来ません。瀬戸大橋を渡ろうかとも思いましたが,目的地を変更することに。往路は八代海沿岸のロザリオラインで牛深久玉交差点まで行き,帰路は国道266号線で本渡へ戻るコースとしました。秋も深まりつつあり,所々で鮮やかな紅葉の始まった緑の景色の中を,ロードバイクは軽快に進みます。11時半には中田港フェリー乗り場の六角堂型の待合所に到着。しばしの休憩のあと再び走り出し,宮野河内,産島方面へ。潮は満潮に近く正午の日差しがブルーの透明な海に差し込みます。深く入り組んだ美しい海岸線を走ります。

 宮野河内を過ぎ,上平の手前だったと思います。前を一台の自転車が走っていることに気が付きました。次第に追い付きます。その自転車後輪の両側には,荷物が均等にくくり付けられています。11月中旬の寒空にもかかわらず,ブルーのタンクトップと短パン姿です。日焼けした白人女性でした。そのまま追い抜きました。でも,あいさつもせず,追い越したことが何となく気懸りで,後で後悔しないで済むようにとUターンしました。私があいさつの言葉をかけようと視線を合わせると,何かを察したのか,向こう側から「Speak in English!」と声をかけられました。中学,高校の頃から,英文和訳には自信があります。でも,英会話は苦手です。博多中洲の外人キャバクラで鍛えた「パワーイングリッシュ」しかできません。身振り手振りで喋る英語です。私が「どこまでですか?」と尋ねると,彼女は「沖縄」と答えます。「気を付けてね」と声をかけ,再び彼女の前へと出ました。しばらくペダルを漕いでいるうち,「沖縄?どこから出発?どこの国から?女一人で?どんな処に泊まるの?ホテルかな?食事は?」などなど,いろんな疑問が頭の中でひしめきます。諦めて再びUターンすることにしました。彼女は,にっこり笑って自転車を停め,サドルから降りてくれました。さっきの疑問を矢継ぎ早に「Power English」にて投げかけます。以下,彼女の言葉を和訳します。「41才です。ポーランドから来ました。一人旅です。7月1日に東京を出発。北海道を一周し日本一周している途中。ビザが3ヶ月しかないため,9月下旬に一旦大阪から韓国へ渡り,再びビザを取り大阪へ。今は天草を通り鹿児島へ行く途中。鹿児島からはフェリーで屋久島へ。屋久島一周のあとは沖縄一周へ。その後,台湾へ。台湾一周のあと太平洋岸を東京へ戻り,ポーランドへ帰国予定です。泊まるところは,夕方たどり着く辺りでテント泊。たまに,充電のためユースホステルに。テント泊の時,怖いのは警察官の訪問。この頃辛いのは寒さ。お金を節約するため,食事は殆どがコンビニで。外食はしない。」とのこと。そんな旅を私もしてみたいと,何とか英語で伝えると,「自分を縛るものを解き放てば,いつでもできる。そして,その縛っているものとは,自分自身の思い込みでしかない」というようなことを一生懸命に話してくれます。

 もっといろいろ話をしたいとは思いましたが,やさしく私に付き合ってくれる彼女の時間をこれ以上奪うことは遠慮されます。最後に,別れを告げるつもりで「Be careful!」と告げました。彼女は,満面の笑顔で,私に「Good Luck!」と返してくれました。

 翌,月曜日は久し振りの悪天候でした。鹿児島県薩摩半島のどこかで,レインウエアを着用し,冷たい風雨の中を元気にペダルを漕ぐ彼女の姿を思い浮かべていました。「God bless you」と言えば良かったと思いながら,いつもの日常診療に戻っていました。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2020年1月号
発行ナンバー140
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