十万山の四季XIV

(i)「前期高齢者になって」

 今年の4月、我が家に2通の郵便物があった。天草市健康福祉課からの、肺炎球菌ワクチン接種の案内状だった。今年度内に、夫婦揃って65歳を迎える我々夫婦は、前期高齢者へ 仲間入りをしたことを実感したのである。
 今年の夏は、とにかく暑かった。多分、生まれてから今までで最も暑い夏だったに違い ない。お盆を過ぎても、盛夏真っ盛りだった。毎日気温は35°Cを越える猛暑日だった。本渡から二江の通勤途中の海岸沿いの国道から見える海や空の青さは、いっそう際立ってい て、魂を吸い込まれそうになる。こんな美しい処に住んでいたのかと、改めて感慨深い。
 ところで、私の父も、妻の父も、前期高齢者になった頃から、絵画教室に通っていた。 我が家には、二人のその遺作が多数残されている。 孫達の通学のため、熊本市内に住んでいた私の父は、やはり熊本市内の景色を描いた風景画が多い。特に熊本城が好きだったようだ。キャンパスに向かい、何時間も同じ処に立って、描いている姿が目に浮かぶ。
 北九州市八幡西区に住んでいた妻の父は、70歳となった頃から、ヨーロッパに、度々旅行していた。パリの街並みやプラハ、ウィーンなどの風景画が多い。もちろん、北九州の あちらこちらを描いた水彩画も多い。 彼らは二人とも、なぜ高齢者になってから絵を描き始めたのだろう。絵を売って、生活費を稼ぐためだったとはとても思えない。自分の見た印象的な風景を、何とか形として残 したかったからに違いない。 もっと云えば、自分の魂に、その美しい風景を刻み込みたかったからだと思えるのだ。

 世の中に、「死者の書」といわれる書物が2種類ある。一つは、古代エジプトで書かれ たもので、パピルスなどにヒエログリフという文字で描かれた書物だ。もう一つは、8世紀後半(平安京が作られていた頃になる)に、チベットに密教をもたらした人物、パド マ・サンバヴァが書いた書物だ。パドマ・サンバヴァは、その書物を山中奥深くに隠したといわれている。(埋蔵教(テルマ)といわれる) それを、600年後の14世紀にカルマ・ リンパが発掘し、世に出した。それを19世紀の英国人神智学者エヴァンス・ヴェンツが英語に翻訳し、全世界で読まれるようになった。

 死者が死んだあとたどる旅について書かれている。「バルド・トゥ・ドル」と呼ばれ、 日本では、中陰とか、中有とかいわれる旅のことだ。その旅はこの世の時間では、50年、 死者の時間では、49日続くらしい。日本でも年忌法要が、50回忌で終了することと併せて考えると興味深い。49日の法要のことを満中陰というのもうなずける。 チベットの死者の書によると、死が訪れ、魂がその肉体から離れた瞬間、物凄く眩い光 が、見えてくるというのだ。その光が自分自身であると悟った者は、その瞬間に解脱し、 輪廻転生のサイクルから脱け出ることが出来るという。しかし、瞑想修業が足りないほとんどの者は、その眩い光を恐れ、逃げ出してしまう。そして、次の段階へと進んでゆく。 いろんな、優しい菩薩や恐ろしい閻魔王が現われては消えてゆく。その菩薩や閻魔が自分自身の姿であると認識すれば、その者は、やはり、輪廻転生のサイクルから放たれ、解脱するという。しかい、大抵の者は、それも叶わず、次の最終段階へと進むらしい。そこは、輪廻転生への入口だ。赤や灰色、緑や青、黒い炎まで見えてくるらしい。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界といわれる六道のうち、天界以外の世界の色を表わすのだろう。そこで、チベット死者の書は、「青い光の方へ行くのだ」と、最終の教えを授ける。青い光は、人間界の入口だそうで、もう一度、人間になって修行をやり直して来い という意味を込めてのことだという。 私も、今年の夏に見た、天草の海と空の青さを忘れない。と同時に、自分にこの美しい 青の世界を魂に刻み込めと何度も繰り返し、言い聞かせた。 何度も何度も人間界に戻り修行を積み重ねるのだ。 ・ ・ ・ ・

夫婦で、今年中に、肺炎球菌ワクチンを打とうねと、語った。肺炎球菌ワクチンを打つことは20年後の自分たちへのプレゼントになるのだから。

(ii)時速27km

 マウンテンバイクでの十万山登山行を始めて、あと3か月でまる6年になる。この6年で、千回以上登った。87kgあった体重も、この頃では70kgちょうどで落ち着いてきた。 BMIも25以下へと治まった。

 4年ほど前、天草地域医療センター院長であられた手練れ先輩医師の勧めで、ロードバイクにも乗るようになった。最初は、恐る恐るだったのだが、2-3回の転倒・落車事故や パンク事故などを経験するうちに、次第に、整備上注意するべき点や、事故にあわないためのマナーや走り方についても学んでいった。でも、まだまだ初心者であることは自覚している。パンクの修理も、まだ自信がない。
 来年の梅雨時には、北海道・小樽から稚内までの日本海側沿岸約600km(オロローンラ インと呼ばれる)の走破を企てている。
 週に、2-3回本渡の自宅と二江の自宅間、約16kmを往復する。月に1-2度は、牛深一周50 kmを楽しんでいる。そうして、走っているうちに、あることに気付いた。ロードバイク走行中に見える景色についてである。

 ロードバイクのエンジンは勿論、自分自身の体力である。心肺機能と、脚力を中心とし た全身の筋力次第でそのスピードが決まる。自分の体力は、急には変えられないので、その他のスピードを決める因子は、道路の傾斜度と、風の向き・強さとなる。急傾斜の坂道では、時速10km以下へ落ちるし、逆に、降り坂では、50kmオーバーとなることもある。以前、手練れ先輩医師と同伴サイクリングをした時、降りのスピードが速すぎると、注意を受けたことがある。自分としては、折角、登りで得た高さというポテンシャルを、ブレーキの摩擦での熱エネルギーへと変換させてしまうのがもったいなくて、なるべくブレーキ をかけないようにしていたためだ。しかし、ロードバイクでの大事故は、得てして、降り道で起こるということを最近知った。降り道は、ブレーキをかけて、ゆっくり降って脚を休ませればいいのだ。 風向きと強さは、最も、体力的精神的に、応援となったり妨げとなったりする。登り坂 には必ず降り道がセットになるが、風向きは、ずっと一方向に進む限り変わらないからだ。

 傾斜のない道で、風が全くない時の自分のロードバイクでの巡行スピードは時速27km だ。最近、自覚した。同じ道を行く時の、車での普段のスピードは60km前後なので、その半分以下のスピードである。
 しかし、このスピードが兎に角、爽快なのだ。走る時、ロードバイクや自分の身体は、 自分からは見えない。顔を前に向け、走り出すと、心地良い風。地上1、2mくらいの高さを、自分の意識だけが、飛翔してゆくように感じる。いつも車で走っている道なのに、景色はまるで違って見える。普段は目に留まらないものが、全て目に入ってくる。自然の豊かさ、美しさを全て自分のものにしているような錯覚が訪れる。身体には何の負担もなく、苦痛もなく、自由なのだ。どこまでも、いつまでも、走って行きたい。 これからも、身体の許す限り、安全で、自由なロードバイク旅を続けていきたい。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2024年1月号
発行ナンバー152
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