精霊船

大雨のあとの今年の夏は,毎日が酷暑でありました。朦朧とした靄が有明の海にかかり,呼吸をするのも苦しく感じられました。ところが,送り盆を迎えた天草の8月16日は,空気もすんで風もなく,蝉しぐれだけが,身体に泌み込むような静かな日曜日でした。前日の土曜日午後から,ある病院の当直と日直医の仕事を頼まれていたので,日曜日の夕方に開放された時は,ことさらに自由の有難さを感じていました。五和町二江の自宅へと戻り,ゆっくり湯に浸かりました。さっぱりした後は本渡の母宅へ行き,柴犬モモちゃんといつものコースで散歩をしました。本渡中学校裏の防波堤を歩く頃には,有明の海はちょうど満潮を迎えていました。大矢崎の港を戻りながら海面をみると,わずかながら引き潮がはじまったことがわかります。海面に浮かぶ,ゴミや海草がわずかずつ,沖の方へと移動しているからです。

 精霊船を流し始めるのにちょうど良い時間となったことを海が告げています。散歩を終え,妻の車に乗り込みました。ワゴンタイプの妻の車の後部座席は折りたたまれ,広くなった荷台には初盆を迎えた義父の乗る精霊船が置いてあります。妻の実家のある北九州地区には,紫川で流す灯篭流しはありますが,精霊流しはありません。調べてみると,精霊流しは長崎を中心とした九州西岸でのみ行われる行事のようです。

 本渡,茂木根海水浴場から入って,明瀬海岸方面へ車ごと乗り入れました。小学生の頃,毒クラゲに右足の甲を刺され,真冬の時期まで膿の出た苦い思い出のある軍艦岩を目指します。途中の行き止まりで車を止め,精霊船を降ろしました。船内をみると,しっかりした舵板があります。固定用の芯棒の取付けられた輪ゴムを外し,舵板を船底から取り付けます。左手で船を抱えていたからか,舵板は右斜めになったままで固定されてしまいました。生前,義父が好きだった桃の実を半切れ,クッキーやチョコレートを船に積み込みます。船を右手に下げ岬の突端へと歩いて行きました。妻は,ろうそくとマッチ,10年物のカベルネ・ソーヴィニョンのワインがなみなみと入った紙コップを持って,私の後ろを付いてきます。遊歩道沿いに,海に向かって扇状の階段が造られています。一番下の段から2,3段目までを満潮の海が穏やかに洗っています。日の傾く午後7時頃でした。

 海面に船を浮かべました。風もなく,同じ処でフワフワ浮いています。船尾に手を当て沖へ向かって,押し出しました。船は押し出されたあと,取り舵の舵板が効いたのか, 左向きに旋回し,船首がこちらを向きます。そして,そのままの姿で,少しずつ,少しずつ,引き潮に乗って沖へと離れて行きます。その時には, 義父が, こちらを向いて乗っているような気がしました。次第に暗くなっていくのですが,船に灯されたろうそくの炎は消えません。そのまま夫婦で, 義父を見送るつもりで,その場に佇んでいました。船は相変わらず次第に遠ざかるのですが,その灯はどうしても消えません。段々, 遠くの湯島の回転する灯台の灯や, 天草上島の海岸沿いを行く車のヘッドライトの灯と, 混ざってきますが,尚, その灯だけは, はっきり確認できます。とうとう午後8時半になりました。時々,波間に灯が見え隠れします。義父は,私の嫁である自分の一人娘を含め,この世というものがよほど愛おしく名残り惜しかったのだと思います。諦めて,暗い中,もと来た道を歩き,車へと戻りました。ヘッドライトを付けると, さっきまでの景色が, 一瞬にして消え,私達はこの世へと戻ったことがわかりました。

 翌週,精霊船を少なくとも一船は回収にいくことにしていました。義父が天草に滞在中, 一緒に散歩を楽しんだ, 本渡中学校裏の防波堤外の石塁に,流したものと同型の船が引っかかっているのを発見しました。船名も,同じく「極楽丸」です。無事に回収し, 分解した上,家の裏庭で燃やしながら, 手を合わせました。 

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2020年9月号
発行ナンバー142
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