十万山の四季Ⅺ (ⅱ)小さい秋みつけた

 9月第4週の土曜日は休診とし、3連休としていた。ついでに22日(木曜日)も午後から休診とし、博多で3連休を過ごすつもりで天草を出発した。

 松橋インターで高速に入り、御船インターあたりを気分良く走っていたときだった。突然携帯の着信がBluetoothで繋がれた車のナビ画面に表示された。天草郡市医師会からの電話だった。施設クラスターへの医療支援に入ってもらえないかとの依頼だった。明日、金曜日からでよいとのことだった。高速道路を運転しながら、このまま博多へ行ってしまうか、益城・熊本空港インターで降りて引き返すかを、大いに迷っていた。迷いを抱えたまま運転するのは危険だと思い、託麻PAへ入り停車した。車中から天草郡市医師会へ電話をかけ、明日の午後からでもよいのかどうか確認してみた。大丈夫だと思いますとの返事であった。続いて、二人の自院看護師に電話をかけ、明日の午後から施設クラスターへの医療支援に同行可能か尋ねた。二人とも心良くOKしてくれた。博多での3日間の滞在予定を12時間へ短縮し、再び高速道路へと戻った。3連休前の夕方の高速道路は、筑紫野-太宰府インター間で事故渋滞。さらに滞在時間が1時間減少した。翌日は、朝7時過ぎに博多を出発した。午前10時には自宅到着の予定であったが、またまた天草方面へ向かう途中、大矢野あたりが渋滞していた。結局、自宅へ到着したのは午前11時半。そのまま、すぐに施設へと向かった。施設駐車場には、既に看護師の乗る自院の車が待機していた。

 前回の高齢者施設クラスターへの医療支援で、そのスキルは身体が覚えていた。施設受付玄関横の看護師待機室と思われる部屋が、ゾーニングの開始点である。その待機室でPPEを着用した。ガウンを着て、手袋をはめ帽子をかぶる。聴診器を頸にかけ、ガウンの腰ひもに、ボールペンを1本と駆血帯のゴムヒモを差す。施設看護師の案内で、まず、グリーンゾーンの体調不良者の方々から、診察を開始した。今回は、最初から自院看護師がカルテ用紙を準備してくれていた。検査用品や注射薬剤を載せるワゴン車も準備していた。病状を施設看護師から聴取、SpO2測定、全体を観察しながら、聴診器をあてる。その後、採血、注射、処方を行う。数名のグリーンゾーン診察、検査で新たに抗原検査陽性者が2名でた。施設職員のため息が聞こえる。

 グリーンゾーンの診察のあと、いよいよ、レッドゾーンでの診察だ。エレベーターで2階へ上がり、3回ほど、迷路のようになっている廊下や倉庫のような部屋のドアを開け、レッドゾーンへと入った。レッドゾーンでは、10人ほどの陽性者の診察を行った。全員の採血も施行した。レッドゾーンから退出し、PPEを全て脱ぎ専用のカゴに廃棄し、身の回りの物品のアルコール消毒をした後、最初の看護師待機室へと戻った。施設を出る時、施設の法人理事長と施設長があいさつにみえた。今回のクラスターが収束するまで付き合いますと返した。採血検体を自院に持ち帰り、検査を行う。10数名の方のうち、5~6名の方がCRPが5mg/dl以上の高値を示していた。その日は、クラスター発生から3日目となっていた。明日の4日目まではデキサメタゾンはできれば使いたくなかった。

 以来、毎日、施設の医療支援に赴いた。その中で、訪問開始から3日目に白血球数が3,000程度と上昇しないまま、CRPが9.9mg/dlへと上昇していた70歳前後の女性がおられた。症状は、発熱もなく咳もなく、いつもより体動が少ないということのみだった。SpO2は90%台を保っていた。体動が少ないというのは、普段は車いすにすわり、積木を常に右から左、左から右へと、一日中動かしているのに、前日から急に積木を触らなくなったとの症状のみだったのだ。その日はコロナ発症から5日目であったこともあり、デキサメタゾンを少量静注した。

 翌朝、施設看護師からのLINEの報告では、その方のSpO2が夜間に70%台まで一旦落ちていたが、朝方には90%前後まで戻っているとのことだった。その日の午後の施設訪問での報告では、その方はやや体動が戻っているとのことだった。診察に行ってみるとベッドに臥床したまま積木を触っておられた。少しホッとしながら、診療、採血、注射をした。帰院してからの検査結果では、CRPが25mg/dl以上へと上昇していた。背筋が寒くなるのを覚えた。コロナ専用病床への入院が必要と考えた。あわてて施設看護師に連絡をとった。しかし、施設看護師からは、その日、食事もいつもどおり摂取できるようになり、SpO2も90%台後半へと戻っていますよとの報告だった。状態が急変したりSpO2が下がったりしたら直ちに携帯へ連絡をしてとお願いし、あと一日様子をみることにした。翌日、訪問すると、既に車イスに乗っておられた。離床されていたのだ。車イスの前側にあつらえられた小さなテーブルの上で、いろんな色に塗られた様々な形の積木を右から左、左から右へと積木をテーブルから落とさないように上手に動かしておられた。

 そうこうしながら、約10日間の医療支援の日々が過ぎていった。このまま、発熱する人がなければ明日で収束となるといわれた土曜の午後だった。積木を元気よく移動される方のCRPは、前日には0.8mg/dlまで下がっていた。

 聴診器を当てていたときだった。後ろのベッドにおられた方のCDラジカセはNHK「みんなの歌」を放送していた。部屋中に「小さい秋みつけた」が聞こえていた。聴診器で彼女の呼吸音を聴きながら、同時に「小さい秋みつけた」の曲を聞くうちに、何かが胸にせまってきた。そのせまるものの正体はわからなかった。翌日の10月に入ったばかりの日曜日、朝9時に施設を訪問した。その日は2-3人の、既に病状の安定している方々の診察のみですぐに終った。自宅に10時には帰り着き、すぐにサイクルウェアに着替えた。いつものように、マウンテンバイクでの十万山登山行である。十万山7合目の仏舎利塔を過ぎたあたりだった。なつかしく、かぐわしい匂いがただよってきた。金木犀の花の香りだ。「小さい秋をみつけた。」と思った。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2023年1月号
発行ナンバー149
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