秘密の花園

日々の診療に追われ,半ば強迫観念にかられつつ出席する講演会や医師会・介護関係の会議に追われていると,身も心も疲れてきます。同様な毎日を過ごしておられるはずの先輩諸先生方をみているといつもお元気そうで,尊敬の念を抱くとともに,自分に劣等感すら覚えます。

 疲れ果てた心と体にはリラックスタイムが必要です。天草での私たち夫婦の楽しみのひとつは,カラオケに行くことです。今ではもう,さびれてしまった本渡のかつての繁華街の端にあるスナックが私たちの舞台です。BOX席を離れて,カウンター席との間の狭い空間がステージとなります。ステップタッチの振り付けで熱唱します。最近のマイブームは,私が「あの頃のまま」(稲垣潤一)や「この夜を止めてよ」(JUJU),妻は「寒い夜だから」(TRF)や「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)などです。また最近妻にリクエストするのは「秘密の花園」(松田聖子)です。曲の題名に惹かれてしまうのは,私が男性だからでしょうか。妻は「秘密の花園」と聞くと,アメリカの作家バーネットの童話を思い出すのだそうです。それがどんな話なのかは全く知りませんでした。私はといえば,一つは書くと医師としての品位に関わると思われるもの,もう一つは,妻が運営する診療所(十万山クリニック)の小さな庭です。建物南側の待合室の横で,表の道路側からは見えないように作られているため「秘密」と感じるのです。

 この裏庭には,地植え鉢植えのバラの木が,数十本所狭しと並んでいます。春本番となると,紅やピンク,黄色のバラたちが一斉に咲き始め,まさに百花繚乱。まるで万華鏡を覗いたような風景となります。3年前の夏,北九州に住む妻の父がバラの水やりで脱水症となり,一過性脳虚血発作を起こして入院しました。そこで,父が手元に置きたい数鉢を残し,大部分のバラたちを天草へ引っ越しさせることにしました。2トントラックをレンタルしての大移動でした。鉢が多いため置き場所に苦慮しましたが,結局現在のクリニックの裏庭に落ち着きました。私の妻と同様に,北九州育ちのバラたちも見事この天草の地に根付きました。5月の今は,輝くばかりに咲き誇っています。

 人が花を育て慈しむ気持ちは,どこからくるのでしょうか? 人はなぜ冠婚葬祭の折り,花を手向けるのでしょうか?

 NHKのTVで,南は屋久島から北は利尻岳まで一筆書きに自らの足で歩いて日本百名山を踏破する「グレートトラバース」という番組を見ていた時のことです。プロアドベンチャーレーサー田中陽希さんは,下が千尋の谷の断崖絶壁を登る時,目の前の岩の隙間に咲く小さな花を見つけて,恐怖の中ほっとする瞬間があり,その後は落ち着いて行動ができたと話しておられました。それを聞いた時それまでの疑問が氷解していくのを感じました。

 20世紀半ば,イラク北部のシャンダール洞窟の調査では,ネアンデルタール人の化石とともに数種類の,現在でもその洞窟の周囲に咲く花の花粉が発見されました。ネアンデルタール人には死者を悼む心があり,花で飾って埋葬する習慣があったと考えられています。私たちホモサピエンスと50万年以上前に分かれた種であるネアンデルタール人でさえ,同胞の死を悼む際には,花を手向けていたとすれば,花を供えることは宗教的儀式ではなく,人間に備わった本能的な行動であるということになります。太古の昔から,花はそこにあるだけで人の悲しみを癒し,喜びを与え,人間と共に生活してきた存在であることに気づかされました。クリニックの待合室から見えるバラの庭園も,受診にこられる方々に少しばかりの癒しを与えてくれればと願っています。

 昨年,このバラたちのために,庭の隅に小さな物置小屋を建てました。扉には小さなチューリップ模様のステンドグラスをはめ込み,3畳ほどの空間に園芸用品を整備しました。庭の手入れにとても活躍しています。この小屋を「La Vie en rose」と名付けました。中洲にある風俗店みたいな名前ですが,「秘密の花園」には似つかわしい名前だと気に入っています。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2015年5月号
発行ナンバー126
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