十万山の四季Ⅴ

(ⅰ)十万山の主に縄張り争いを挑まれた件

 今年2月中旬,いつものようにマウンテンバイクを駆って十万山登山をこなしていた時のことです。3合目の淡島神社を過ぎ,右へと大きなカーブを曲がり50mくらい登ったあたりでした。突然,右側の急斜面から私の前に落ちてきたかと思うと, 左側の崖下へと横切る, 巨大な緑色のかたまりを目の端にとらえました。一瞬のことでしたが,今でも鮮明にその光景を覚えています。

 十万山は,3合目の淡島神社から6合目の旧こども公園までが,暗いのです。深山幽谷の趣です。真夏の灼熱の日差しの下でも暗くなるほどです。暗い色のウェアでは,対向車から視認しづらいのでは,と日頃から不安に思っていましたので,なるべく目立つ蛍光色のような上着を着用したいと考えていました。ある時,それにぴったりの色のパーカーを見つけました。鮮やかな黄緑色で,mont-bell製です。

 昨年末頃より,その黄緑色に輝くパーカーをサイクルウェアの上に羽織るようになりました。キセキレイが私の道案内をしてくれるようになったのもその頃からです。十万山,淡島神社周辺は,いろんな種類の鳥が集まっている処です。

 ここからは私の勝手な想像となります。鳥からすれば,私は,巨大生物の筈です。しかも,エンジンの様な機械音もさせず,人間の様に,2本の脚で歩いてもいません。呼吸音はしますが,ある程度のスピードを保ちながら移動してくる生物です。また,雨さえ降らなければ,まるで自然の営みであるかのように,毎日ほぼ同時刻にそこを通過していきます。美しく,黄緑色に輝くパーカーという名の羽をまとっています。十万山のメスの鳥たちは,私のことを,強力な美しいオスの鳥と思っていたに違いありません。

 メスの鳥たちもさることながら,十万山の鳥たちを束ねるボス鳥はどうしたものかと途方に暮れていました。日々,私のことをつぶさに観察もしていました。立ち向かおうとしてびびったり,決意しても,やはり怖気づいたりしたこともありました。それでもある時,ついに勇気をふるいおこしたのです。嫁の鳥に,背中を押されたやもしれません。

 巨大な緑色の塊は,大きなオスのキジでした。私は,最初,目の端にとらえた時,孔雀だと思ってしまったのです。その尻尾の羽飾りは,花嫁の付けるヘッドドレスのように七色に光り輝いていました。胴体は,私の着ているパーカーと同じ,輝く黄緑色です。ドタッと私の目の前に落ちるようにして降りてきたそのオスキジは,まるで,ダンスでもしているかのように,優雅に羽を拡げるように踊りながら私の前を通り過ぎていきました。以来, その場所にくると,周囲を眺め、あのオスキジを探してしまいます。しかし、私の前に再び現れることはありません。

 ある時,自分の着ている黄緑色のパーカーは,十万山の森の中では,逆に保護色となってしまうことに気付きました。今は,オレンジ色のパーカーを探しています。

(ⅱ)夏の匂い〜自転車旅〜

  人は季節をどうやって感じているのでしょう。連想するのは,春は桜,夏は白い入道雲と真っ青な空と海,秋は紅葉,冬は雪山やストーブなどの暖房器具です。いずれも,視覚で感じる季節です。清少納言は,春はあけぼの,夏は夜,秋は夕暮れ,冬は早朝と,その最も美しい季節感の現われる景色を一日の時間帯で表現しました。しかし,五感の中で最も原始的で大脳にダイレクトに情報が届きやすいのは,嗅覚だといわれています。しかも嗅覚の中枢は,記憶と同じく海馬にあります。つまり,最も記憶と密接な関係にある感覚であると考えます。

こどもの頃,両親の寝室で遊ぶと,父親の枕の匂いに嫌な気分になったことを覚えています。いわゆるオヤジ臭です。オヤジ臭を嫌うのは,その匂いと父親に怒られた記憶とがリンクしているためかもしれません。しかし,今となってみれば懐かしい臭いです。自覚しないまま,自分もきっと発しているのでしょう。

 7月中旬の週末,いつもの強者先輩医師とロードバイク旅にでかけました。今年の梅雨は大雨続きでしたが,めずらしくその日は晴れていました。

 午後1時に本渡港ターミナルで待ち合わせ。今回は,本渡から松島までの天草上島往復ルートです。往きは,オレンジラインで,知十まで行き,帰りは県道34号天草街道で帰るコースです。かなりタフな行程になることが予想されました。前回と同じで,私は前立ちを仰せつかりました。

 天草工業高校の前を通り,旧瀬戸橋を通り天草上島方面へと向かいます。橋の上で,つい後ろを振り返ってしまいました。すでに強者先輩医師の気配がなかったからです。振り返ると同時にロードバイクごとヨロケてしまい, ハンドルを握る左手の第4,5指を, 橋の欄干にこすりつけてしまい,熱傷を負いました。程なく強者先輩医師は登場し,一緒に天草上島側へ渡りました。

  オレンジラインに入ると,しばらくは上り坂が続きます。前回とは違い,強者先輩医師も最初から本気モードです。(消す:実は前の晩、強者先輩医師宅にて、いつもはあまり飲めない日本酒をしこたま飲まされていました。) 上り坂で抜かれ,下り坂で抜き返す,まさに抜きつ抜かれつのデッドヒートとなりました。有明町動鳴山麓のトンネルを過ぎた辺りで休憩をしたかったのですが,強者先輩医師はトンネルを通過した後もどんどん下り坂を下って行きます。動鳴山と,老岳の山裾を繋ぐ橋まで来た処でやっと初めての休憩となりました。橋は両山の間の急峻な谷に懸けられており,涼しい風が吹き抜けていきます。二人並んで橋の歩道にすわり,アクエリアスを一気飲みします。

 突然,「梅雨が明けたなあ」とつぶやくようにいわれます。山側からはるか下に見渡せる有明海へと吹き下ろす南風が,上り坂で火照った身体を冷ましてくれます。

 強者先輩医師はふと,私の左手,第4,5指に目を止め,どうしたのかと尋ねます。先程の傷の由来を告げると,自分のロードバイクサドル下の小物入れをガサゴソはじめました。しばらくの後,私に黙ったままで差し出したのは一枚のリバテープでした。外側の紙のラップは煮しめたように茶色に変色しています。ラップをはぐと,きれいなリバテープが出てきました。自分の右手で丁寧に貼りました。ヘルメットをかぶり直し再出発です。

 オレンジライン最高峰の320m地点を目指し再び登ります。一気に下ったあとは,知十辺りのT字路を右へ折れ天草街道へと復路を行きます。教良木地区は道路の両側が一面の水田で,青い稲の茎にすでに黄色い穂が実っています。早稲なのでしょう。その時,ふと懐かしい,暖かな匂いにつつまれました。思わず,横を行く強者先輩医師へ,大声で「よか匂いですねー。」と声をかけました。先輩は「ほんとやなー。」と返してくれました。それは,収穫間際の稲穂の香りでした。今年初めての「夏」を感じた瞬間でした。

 1時間半後,旧瀬戸橋へと帰り着きました。「ここで別れる」といわれます。五間道路へと向かう,先輩の逞しい後ろ姿を見送りながら,左手の薬指に貼ったリバテープを撫でていました。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2020年9月号
発行ナンバー142
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