開業して曲がりなりにも10年が経ちました。その間,多くの先輩方が経験されたであろうことも,私なりに経験してきたつもりです。
さて,少子高齢社会の医療におけるトピックスは「在宅医療」だとされています。桑野先生から五和町二江地区の診療を引き継いだ際,私に託された訪問診療先は週に30件を超えていました。訪問診療の道すがら,真っ青な空の下,田んぼのあぜ道を歩きながら,自分の診療所を持てた喜びをかみしめていました。ときには,童心に戻り,畑で猪の赤ちゃんを追いかけたことも思い出されます。そんな中,忘れようにも決して忘れられない事件が起こりました。訪問診療先の患者家族に医療過誤で訴えられそうになったのです。
開業して間もない頃でした。天草の某病院の複数の科から,1人の患者に関する複数の診療情報提供書が同時に届き,それぞれに今後の診療を在宅でお願いしたい旨のことが書かれていました。脳卒中後遺症で完全寝たきりの60代男性患者です。それから約3年間,普段は週に1度の訪問診療,発熱や病状に変化がある時には随時(日曜祭日に関係なく)往診をしておりました。尿が濁っていて臭いがきついといわれては在宅で膀洗を行い,無理をいって本渡にある泌尿器科医院の先生に依頼し何度も往診していただきました。訪問を開始してから3年後のある日,特段の理由もなく,私の診療に不信感があると家族から告げられました。私にはまったく思い当たる節はありません。信頼関係が破綻していると感じられたので,ほかの医療機関への紹介を提案しました。しかし,その提案を家族は拒絶。その後も何度か,転医を勧めましたが,そのたびに,「もう覚悟はできているので,このまま訪問診療を続けて欲しい」と希望するのでした。どういう心境なのか私には理解できませんでした。
微熱が続いて,連日,抗生剤の点滴をしていたある日のこと。訪問時に,患者は不在。他の病院へ救急車で搬送されたのだそうです。もちろん,私には事前に何の連絡もありません。そして,「搬送先の病院で重症の肺炎であると診断された。重症肺炎を見逃したことは大変な過失であり,医療過誤として訴える用意がある」ということを告げられました。
連日の訪問の際にも呼吸状態は安定しており高熱を発することはなかったし,血圧,脈拍,呼吸数等のバイタルサインも安定し,聴診所見も正常で, CRPも低値(1~2mg/dl)で推移しており、状態の悪化はみられないと考えていたところでした。
まさに青天の霹靂。訪問診療の怖さ,むずかしさが痛感される事件でした。
言うまでもないことですが,訪問診療は,患者の日常生活環境の中での診療です。自分の診療所で診療しているときとは,判断の物差しが微妙に違ってきます。とくに,患者家族との信頼関係が十分に築かれていない状況で診療にあたることは,アウェーのグラウンドでサッカーの試合を行うに等しいと感じられます。
検査についても,そもそも在宅で検査を実施するかどうか若干の躊躇を覚える場合も多く,心理的なハードルが高くなりがちです。血液検査のうち,末梢血,CRP,電解質くらいは、検体を診療所へ持って帰れば10分で結果は判明しますし,結果が翌日になることを気にしなければ、生化学検査の検体提出も可能です。PT-INRの検査キットを持参すれば,その場でワーファリンの用量調節ができますし,心電計を抱えて行く体力があれば、心電図も検査できます。ただし,残念なことに、レントゲン写真を撮ることはできません。診療所であれば、一連の流れの中で簡単にできることが,家庭の場においては何となく大袈裟で非日常的な行為に映ります。結局,検査を控え,五感診療に頼らざるをえなくなります。診療所でどうにか確保できている自分の医療レベルが,在宅では,一段下がる感じがします。
訪問診療のむずかしさは,普段の状態のフォローアップではなく,容体が変化したとき,慣れない環境と限られた情報で,いかに判断するかにあると思います。自らの知識を総動員して下した判断が結果として不的確であった場合,それを批判されることは,私のような開業医にとって,とてもつらいことです。訪問診療は,患者にとって利便性が高いが,診る側にとっては困難と緊張を伴うものである,という社会的なコンセンサスや、ある程度の容認が必要ではないでしょうか。
先ほどの事件に話を戻します。相手方弁護士の訪問とともに、裁判所による証拠保全手続きがなされました。その後、半年から1年に1回程度の頻度で、いろいろなやりとりがありました。結果的に最後になった話し合いの中で、相手方弁護士から、「患者側がたとえ最期まで自宅で看取りをしてほしいと言っていたとしても,その気持ちは途中で変わることもあるので,毎回の訪問ごとに意思の確認をすべきだったのでは?」との問いかけがありました。これに対して,私は、「そのような重大な意思・方針の変更がなされたのであれば、患者側から私に伝えるべきである」と反論しました。そして、私は、相手方弁護士に対し,「裁判になってもかまわないので、次回からは『公』の場での話し合いにしてほしい」と頼みました。
すると,数ヵ月後,電話での伝言で,今回の事件はもう終わりにする旨の連絡がありました。私個人に対する直接の連絡や文書による報告ではありませんでしたが,この伝言により事件は終結を迎えたことになります。
医事紛争は,当事者双方にとって,時間と心の重荷になります。だからこそ,普段から医療安全への努力を怠ることなく自己および職員教育に励み,事故を起こさないように心がけておく必要があると思います。
また,いかに真摯に在宅医療に取り組んでいたとしても,患者家族の理解力や介護力は千差万別なので,あらぬ誤解を生んでしまうおそれもあります。在宅では相手とのコミュニケーションをより緊密に行わなければならないという点で,臨床医としてより一層の熟練が求められるものだと思います。
掲載情報
掲載誌 | 天草医報 |
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掲載号 | 2013年5月号 |
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