「September Blue Syndrome」

昨年の夏もこれまでの人生で最も暑かったが、今年の夏は、さらにその暑さに輪を掛けるものとなった。9月も8月と同様に暑かったが、10月になって、やっと長袖のスウェットに腕を通すことにした。

今年の、こどもたちの夏休みが終わるのは、9月1日の日曜日となったろう。8月最終週の30日(金)31日(土)には、いつもとは異なる症状のこどもたち(小・中・高校生)が、私の小児科外来を訪れた。

その主な訴えは、頭痛、倦怠感、吐き気など、いずれも診察や検査では探りようのない自覚症状のみであった。発熱は伴っていなかった。鼻水や咳などの上・下気道症状や、嘔吐・下痢などの消化器症状もみられなかった。

そのこどもたちは、診察室のイスに座ったあともそっぽを向いて、私と目を合わせようとはしなかった。気になるこどもには、末梢血検査及びCRP定量検査を施行したが、そのいずれのこどもにも異常値を認めなかった。8月31日(土)に、母親に連れられてきたのは、高校1年生の女の子だった。他県の看護科のある高校へ、寮に住みながら通っているとのこと。明日の日曜日に寮へ連れて帰る予定にしていると母親が話す。訴えはやはり、頭痛と倦怠感のみであった。前日、熱中症になるような野外活動はしなかったかを尋ねた。一日中、エアコンの効いた部屋に居たとの返事だった。食事は摂れたかの質問には、いつも通りよく食べたとのこと。

その答えを聞いた時、突然、自分が20歳の学生の頃にさんざん聴いていた、竹内まりやの曲「September」のメロディーが頭の中で流れ出した。竹内まりやの「September」は、自分の彼氏を年上の女性にとられてしまった、哀愁あふれる失恋の歌だ。また同時に、Earth,Wind @ Fireの曲「September」の曲も聴こえてきた。

頭の中で流れるその曲たちをしばらく聴いているうちに、「September Blue」という言葉が浮かび、それをそのまま、私の前に座る女子高校生とその後ろで立ったまま見守る母親に歌いかけてしまっていた。二人とも妙な顔をして私の顔を見つめた。女子高校生と初めて目が合った。その意味を分かりかねている母子二人に、訥々と話し始めた。自分の小・中・高校生の頃の話を。

小学生の頃は各学年の夏休みの間中、セミ捕りに明け暮れていた。近くのスーパーに蝿取り紙を買いに行っては、切った細長い竹竿に、その蝿取り紙で竹竿の先端を挟んでベタベタの粘着性にして、木の小さな枝につかまって鳴く蝉の羽をひっつけて蝉を取っていた。蝉はあの時、不思議と逃げなかった。その結果、絵日記の宿題が1ページも進まず、夏休み明けが、1年のうち最も嫌な時期だった。

中学生の頃は、剣道の練習に明け暮れて、夕方には疲れ果てていた。その頃はまだ、練習中に水を飲むのは厳に戒められていた。今の常識とは真逆である。朝も夕方も暑中稽古で疲れ果てていて宿題も全く進まず、夏休みが終わるのが苦しくてたまらなかった。ツクツクホーシの蝉の声を聞くと、途方に暮れて寂しくなっていた。焦燥感というのか、とにかく、不安定な自分を感じていた。

高校生の頃は、またあの寮に戻らなければいけないのかと思うと自分の居場所がなくなったような暗い日々を過ごした。本渡からバスで熊本駅まで行き、電車に乗り換えてJR久留米駅に降り立った時の途方に暮れた無惨な気持ち。そのまま消えて無くなりたいと思うこともあった。

などなどを話したと思う。

しかし、大学生になった頃のその季節はすでに実家にはおらず、てきとうに、彼女とドライブデートをしたり、ユーミンのコンサートに行ったり、湘南の江ノ島でヨットに乗っていたりと遊び呆けていて、全然嫌な時間じゃなかったよとも話した。

その話をする頃には、女子高校生の顔にはなんとなく微妙な笑顔が戻っていた。「たぶん、とにかく明日は、きつくても、しんどくても、寮へ行ってしまえばなんとかなるんじゃない?」と話した。「同級生の人たちの顔を見てしまえば、もうどうもなくなるかもよ。同級生の人たちも皆、あなたと同じ様に辛い時を過ごしているんじゃないかなぁ。」とも話した。すると、女子高校生は、イスから立ち上がりながら私に頭を下げ、「そうしてみます」と返事をした。実際どうなったかは分からない。他のクリニックを探したのかもしれない。

こどもの自殺の多い時期について調べてみた。予想通り夏休み明けの8月の終わり、二学期の始まる直前が、18歳以下のこどもたちの自殺が突出して多い日となっている。というか、その時期にしか、こどもの自殺は起きないのだ。きっと衝動的なものなのだろう。

ここまで書いてきて思い出したことがある。今昔物語集の天竺編に出てくる、「こどもを亡くした母親、キサーゴータミー」の話だ。こどもを亡くし、涙に明け暮れる日々を送っていたキサーゴータミーの家をある時、釈迦が托鉢のために訪れた時のことだ。キサーゴータミーが、釈迦に自分の死んだこどもを抱え差し出して、何とかこの子を生き返らせてもらえないかと頼むのだ。すると、釈迦は肯いた上でひとつの条件を提案した。今までに一人の死者も出したことのない家を訪ねて、そこから白いケシの実をもらってくるようにと話した。それがあれば、その死んでしまったこどもを生き返らせることができると話した。それを聞いて喜び勇んだキサーゴータミーは、必死になって死者を出したことのない家を訪ね歩く。ずっと訪ね歩いて疲れ果ててしまったキサーゴータミーが近くの木の下で休んでいる時だった。家族に死者の出ていない家はない、こどもを亡くしたことのない家も一件もないのだということに、キサーゴータミーは突然気付いたのだ。すると、今まで自分ほど不幸な女はいないと思っていたのが、嘘のように気が楽になったのだ。そうやって、本来の救いを得たのだという。

こどもの頃の夏休み明けの時期は本当に辛い。しかしそれは、自分だけではなく、日本中にいるこどもたち、みんなが同じように辛いのだということを、なんとかして、本当の意味で教えることができないだろうか。

掲載情報

掲載誌天草医報
掲載号2025年1月号
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