人間万事塞翁が馬 Written by Eiichi Nakamura

介護保険事始め③ 主治医意見書

天草医報

2011年3月, 熊本県のJMATとして参加した東北大震災の医療支援の際,支援先であった宮城県女川町立病院医局での夜のひとときのことです。失われた病院機能のなかで最もダメージが大きかったものは何かという話題になりました。町立病院の院長は,しばらく考えたあと「主治医意見書のデータです。蓄積されていたデータをコンピュータごと失ったことが最も残念です。書き直すにはすごい労力を要しますから。」と答えました。それを聞いたとき,主治医意見書の作成を苦手としているのは自分だけではなかったのだと気付かされました。
場面は変わって今年1月,介護支援専門員実務研修に参加していたときのこと。ある講師は,「介護認定審査会に提出される主治医意見書の質が悪く,参考資料としての価値が低い。なかには,主治医意見書作成料を返還してもらいたくなるようなレベルの主治医意見書も存在する。」と嘆いておられました。
大多数の医師は相当の労力を費やして意見書を作成しているにもかかわらず,一部の低品質な意見書の存在のために認定審査会の場ではほとんど参考にされていないということが日本中で起きているとすれば,そこには莫大な金と時間の損失が生じていることになります。
なぜこんなにも記載に苦労するのでしょうか。書きにくい理由が何かある筈です。
主治医意見書を初めからみていきますと,「1.傷病に関する意見」における「(1)診断名および発症年月日」でまず躓きます。脳卒中後の片麻痺や転倒後の大腿骨頸部骨折など,突発的に発症する疾患であれば,「診断名および発症年月日」は明確でありその記載は容易です。しかし,変形性膝関節症やアルツハイマー型認知症などは緩徐進行性の疾患であり,その後徐々におこる廃用状態に伴う筋力低下の進行や高齢に伴う虚弱・自律神経障害の進行などが重なることで初めて生活機能の低下に結びつくことになります。本人も家族も主治医も,膝関節症や円背や認知症状が何年何月何日に出現したかを特定することは不可能です。発症年月日ではなくカルテ上の診断年月日を記載しても可とするか,不明とチェックする欄があればなあ,などと自分勝手に思ってしまいます。
また,たとえば,パーキンソン病などの神経疾患(特定疾病)を「(1)診断名」とすべき場合,その疾病についてはたいてい専門医療機関において管理されているため,経過および投薬内容を含む治療内容について記載を求められても不分明な部分が多いことになります。主治医意見書であるなら,専門医にて記載してもらいたいと思いますし,当方で記載をするのであれば,主治医意見書ではなく,かかりつけ医意見書と名称を変更できるようにしてもらえればと思います。
その他の例では,介護認定期間の更新時期つまり主治医意見書が必要となる時だけ,受診される方がおられます。しかし,1~2年に1回受診されても,その方の生活機能や生活している状況などの把握は非常に困難であり,意見書の記載にあたり,再び戸惑うこととなります。
障害高齢者の日常生活自立度(ねたきり度)の判定についても,公共交通機関がほとんどない当地では,J-1との判定はありえず,ランクJはすべてJ-2判定となってしまいます。また,A-1,A-2の具体的イメージと申請者の状態がなかなか重なり合いません。認知症高齢者の日常生活自立度判定基準でも,普段外来のみで管理している申請者の場合,Ⅰ,ⅡA,ⅡBのいずれに該当するかの判別は,とても難しいことと思えます。
「医学的管理の必要性」の欄においては,居宅にて生活しておられる申請者は,そのほとんどが定期的に外来受診されているので,一見チェックする項目が見当たりません。「外来通院による医学的管理」というチェック項目が存在しないためです。「その他の医療系サービス」にチェックすればいいのでしょうが,最も多いと思われる外来での管理が「その他の医療系サービス」に分類されてしまうのは,なにか納得できず記入に抵抗感を覚えます。
最後の「特記すべき事項」に至ってはなにを書けばよいものか,当方がアルツハイマー型になってしまったかのような有様です。医学的な意見としてこれ以上なにを要求されているのかがわかりません。空白のまま提出してしまいがちな主な原因と思います。また,「専門医に別途意見を求めた場合はその情報提供書や身体障害者申請診断書の写しなどを添付していただいても結構です。」とありますが,ご本人の了解を得ることもなく当方で勝手に大事な個人情報を貼付したりしてよいものだろうかと一抹の不安が残ります。しかも,情報提供者の了解を取ることとされており,その点も一つのハードルとなります。また,申請者の状態やそのケアに係る手間・頻度の具体的内容についても記載するよう求められていますが,その文言自体が抽象的であり何を具体的に記載すればよいものか,何も伝わってきません。ケアに係る手間・頻度を具体的にとは,いったい何をどう書けばよいのでしょうか。
そんな手前勝手な不満や愚痴を考えていた時のことです。天草市にて,医療・介護・行政の垣根を越えた多職種連携でのケースカンファランスが開催され,2つの症例が提示されました。その1例は,ご本人以外は無人となってしまった離島で一人暮らしを続けておられる80代男性のケースでした。脳梗塞後で認知症合併の要介護の方です。別に住む家族や民生委員などの強い勧めにもかかわらず、頑としてその無人の離島で一人暮らしを続けておられるとのことでした。それを天草南包括支援センターの方がいろいろな医療介護資源を駆使してなんとか支えておられるようでした。医療的側面からだけで見ると,疾病管理のための検査や投薬をすれば,あとは本人の自由勝手ということになるのでしょうが,介護の側面も加わるとその利用者の生活全般を外から支えるスキームが必要となってきます。どこまでもその人の意思を尊重したまま, 可能な限り生活を支えていくという姿勢に,介護保険制度がもつ「人間の尊厳を守る」という理念を感じました。
この理念は,学生時代から耳にタコができるくらい聞かされてきた,いわゆる「全人的医療」の視点を持つということを思い出させます。外来に通院している要介護者は,医療機関においては「患者」ですが,居宅においては「生活者」なのです。介護保険制度において,医師には,患者の身体機能のみならず生活機能についても十分に把握することが求められているように思います。そして,日常生活における「不便」や「困りごと」に焦点を合わせるよう心がけていれば,これまであげてきた主治医意見書に対する不満点も徐々に自ずから解消していくような気がします。
主治医意見書が読まれる場は,介護認定審査会です。その合議体には,医師のみでなく保健や福祉の学識経験者も含まれます。我々の主治医としての力量を問われる場になっているのかもしれません。主治医意見書を通じて,失われつつある主治医としての信頼をもう一度取り戻さなければと思います。